8cmのピンヒール

月を見て綺麗だねと言ったけど あなたしか見えてなかった

平成最後の夏だった。#就活 #夢 #恋 #東京

こんなにも暑くなるまで、リクルートスーツを着ているとは思わなかった。
理想が高いと言われてしまえばそれまでかもしれないが、まだ続けることもできるのに、諦めたくなかった。いつかあの場所で働くために、せめてちゃんとキャリアを詰めるところで。夢を追いかけるということは、孤独で、苦しくつらいものだ。

何でもかんでも平成最後とつけるのは好きじゃない。安易に使い続けることで、言葉の価値はだんだん下がっていく。初めて平成最後の○○と聞いたときは、結構エモい気持ちにもなったのに、今なんとも思わないのは、それほど世の中にこの言葉が溢れてしまったということだろう。言葉は大量に消費されることで、時に価値を失う。

それでもやっぱり、“平成最後の夏”だけは、わたしにとって強く濃く心に残り続けている。
全てに絶望して、どこまでも一人で、当時好きだった人には怒られてばかりで、東京は怖い街だと思った。

息をするように嘘を吐く大人にたくさん出会って、社会人のことが誰も信じられなくなった。「そういうもんだよ」って言われても受け入れらんないし。てかそもそも、この微妙に膜を張ったような人間関係の築き方はなんなの?そんなことをひたすら思っていたら、どうすればいいかわからなくなった。

追いつめられて迷走しても、そこから得られるものは何もない。
話せることがないからって自分を偽ったところで、良いことはない。
本当にそのままの自分で、いつも通り話せばいい。
就活を終えた今だからこそ、あの頃の自分にはこういうことを言いたくなる。

 

とにかく、広告の仕事がしたい。
いつのまにか、そんな風に思うようになっていた。

それじゃだめだってわかっていたはずなのに。

何を言えば通りやすいかとか、どう見せることが大事かとか、何がこの会社の人にウケがいいかとか、そんなことをしたってミスマッチが起こるだけだって頭では理解していた。それでも、追いつめられると人はどこかおかしくなるらしい。いつのまにか相手に合わせることばかり考えるようになった。

 

だから、わたしはあんなことを口走ってしまったんだと思う。

某広告代理店の最終面接。
「やりたいことはなんですか?」
そう聞いてきた面接官に向かって、私は堂々と「まだ決まっていない」と言った。

やりたいことがあるからその会社を受けて、広告業界ばかり受けていたのに。
コピーライターになりたくて、広告が作りたくて、いろんな人に会いに行って、東京という慣れない土地を永遠に走り回っていたのに。

大迷走して、わからなくなって、手元にある内定先に絶望して、就活を続けて、季節も過ぎた。初めて来たのは寒い雪の日だったはずなのに、いつのまにかじめじめとした暑い夏になっていた。

そんな調子で面接を受けたところで何もうまくいかなくて、当時好きだった人には怒られてばかりで、ただただ泣きたかった。泣くことすらもできなかった。

それでも、どこまでも続く孤独と永遠に戦って、必死で夢を追いかけた。
結局のところ、わたしの気持ちはわたしにしかわからない。

迷走に迷走を重ねたのち、本当にこの会社にちゃんと就職しようって決めることができたのは、卒業直前、大学4年もあと2ヶ月で終わる1月だった。ゼミの先生にも相談していたし、20卒のインターンにだって行った。それぐらい、本気で迷っていた。

 

4月。
東京に引っ越してきた。あれほど夢見てた生活が現実となった。
途端に、大阪に帰りたくなった。 寂しさが押し寄せてきた。

わたしに広告のイロハを教えてくれた人とは連絡が取れなくなった。
でも、「営業より制作向きだと思う。制作会社受けないの?」って言ってくれたあの人の言葉は、たぶんものすごく的を得てた。制作会社は受けなかったけど、今の会社で、わたしは売る人じゃなくて作る人になった。営業職だと思い込んでたからちょっとびっくりしたけど、好きなことが仕事になる幸せを毎日噛みしめている。結局のところ、今の仕事が好きだから、やっぱり大阪には帰りたくない。

消費財とか、化粧品、映画の広告が作りたいって思うのは、きっと全てあの人の影響だ。
わたしもあの人の中に、少しでも何か残せただろうか。
もうわたしのことなんて忘れてるんだろうけど、わたしはきっと忘れることはないんだろうな、なんて思ったりした。 

消費財メーカーのコピーライターの先輩と話したとき、
「諦めなければ、何かしらの形で絶対夢は叶うよ。努力は報われるよ。」
と言ってくださったのを、今でも覚えている。

その先輩は、ある広告代理店にどうしても入りたくて、飛び込みで何十枚も自分の名刺を配って、OB訪問をしていたらしい。それほどの熱意があっても、やはり広告代理店の壁は高く、入れなかったそうだ。

とある会社に一目惚れして、広告の世界を追いかけ続けて、最終落ちを繰り返したわたしにとって、自分と境遇の似ている就活生だった先輩の言葉は、すごく心に響いた。

うまくいかなくて、心が折れそうになることもあったけど、努力は必ずしも報われるわけじゃないってわかってたけど、それでも、頑張ってよかったって思える今があって幸せ。やりたい仕事につけたこと、会社の人がみんな大好きなこと、あまりにも恵まれすぎている。

 

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ルミネの2019年春広告。「わたしの夢を奪うわたしになるな」
わたしは、ちゃんと自分の望む自分に近づけているかな。
自分の嫌なところはたくさんあるけど、それも全部受け入れて、ありのままの自分をちゃんと大事にしたい。最近は、そう思うようになった。

自分には無理そうとか、できなさそうとか、そんな風に諦めるようなわたしではいたくない。わたしはわたしの夢を、自分の力できちんと手に入れたいのだ。

 

就活と夢と恋と、東京。
すべてを全力で追いかけた。平成最後の夏だった。

 

令和は、東京でちゃんと笑えるわたしになりました。
千代田線にはもう乗らない。元気ですか?って言いたいけど、言わないでおくね。
いつかまたあの人に会えたら、すっかり広告の人になったねって言われたい。
強くなったねって、認めてもらいたいと思う。

明日も仕事です。
Googleマップに頼らなくても、一人で歩けるようになってきたから。
1年前の今頃、泣きながらESを書いて怒られてたこと、きっと忘れない。
お箸の持ち方さえ間違えてたわたしに、正しいことを教えてくれてありがとう。

 

令和最初の春。
ひたむきに、まっすぐに、努力しようと思います。

獣になれない私たちが心に突き刺さる話【新垣結衣】

1月21日、日テレ系2018年10月期水曜ドラマ、「獣になれない私たち」(略してけもなれ)が、ギャラクシー2018年12月度月間賞を受賞したことが発表された。
これは、日本の放送文化の質的な向上を願って、テレビやラジオ番組、その関係者に贈られる賞らしい。

 

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引用:https://www.ntv.co.jp/kemonare/

 

2018年下半期の私は、「獣になれない私たち」を見て、毎週ボロボロ泣いていた。賛否両論あるドラマだったが、わたしは本当に大好きで、放送期間中毎日のように「けもなれ」「けもなれ」「けもなれ」と連呼していた気がする。

「獣になれない私たち」は、本音と本能にフタをして生きる大人たちのラブかもしれないストーリー。登場人物全員が言いたくても言えない、どうしようもない気持ちを抱えながら、現実と向き合って一生懸命人との関係を作っていくドラマである。

恋人との関係や職場での立ち位置など、生きていれば避けられない『人生の苦味』を、クラフトビールの雑味のように味わおうとするドラマだった。新垣結衣松田龍平田中圭黒木華らが演じたキャラクターたちも、性格だけでなく、立ち位置で変わる見え方まで含めて多面的に描かれていて魅力的だ。

引用:ORICON NEWS

これがギャラクシー賞の受賞理由だそうだ。この評価を書いた人が天才なのではないかと思うぐらい、「獣になれない私たち」の魅力を的確に表した評価である。
「こんなかわいそうなガッキー見たくない」とか「好きになれる登場人物がいない」とかめちゃめちゃ言われていたけれど、わたしたちが向き合いたくない現実の嫌な部分を見事に描いていたドラマだったとわたしは思う。

 

あいみょんが歌う主題歌、「今夜このまま」もめちゃめちゃ合っていた。

苦いようで甘いようなこの泡に
くぐらせる想いが弾ける
体は言う事を聞かない
「行かないで」って
走って行ければいいのに

広いようで狭いようなこの場所は
言いたい事も喉に詰まる
体が帰りたいと嘆く
「行かないで」って
叫んでくれる人がいればなぁ

抜け出せない 抜けきれない
よくある話じゃ終われない
簡単に冷める気もないから
とりあえずアレ下さい

とまあ、こんな感じの歌詞なわけだけれども、本当にあいみょんも天才なんじゃないだろうか。わたしはこの歌にもドはまりしてしまって、ドラマ放送中は毎日よく飽きないねと言われるぐらいずっと聞いていた。

何が言いたいかというと、現代を生きるわたしたちには言えないことが多すぎるのである。もっと本能のままに、好きなものを好きだと言って、欲しいものは欲しいと言って、嫌なことは嫌だといえたらどんなにいいか。そんなことを考えながら日々生きている人が多い世の中だから、こんなドラマが生まれるのだろう。

勇気を出して本音を言ってみても、結局上手くは行かない。それならそもそも言わなければ、ニコニコ笑っていれば、幸せっぽく見えるんじゃないか。自分が不幸せだと思いたくないし、他人にそんな風に思われたくない。よく考えたらそこまで不自由なわけでもないし、自分より不幸な人なんてきっともっといるはずなのに、弱音なんて吐いちゃだめだよね?
そんな風に思って生きている人は、一体どれぐらいいるんだろう。

 

特に、新垣結衣演じる主人公・深海晶が「幸せなら手をたたこう」を歌いながら、淡々と仕事をこなしていくシーンは話題となった。

thetv.jp

ECサイトの制作会社で働いている深海晶(新垣結衣)は、仕事が出来すぎるタイプだ。出来すぎるが故に、営業企画で入社したはずなのに、いつのまにか社長秘書業務から教育担当、クライアントへのプレゼン、後輩のミスのカバーまで全てを任されてしまう。

エンジニアの方への気遣いも忘れず、営業のミスで深夜残業が発生した時には、自腹でおにぎりやお茶も買いに行く晶。もちろん、みんなから信頼されてはいるが、それでも社長の怒号は飛び交い、毎日届く鬼のようなLINEに忙殺される始末。

そんな状況の中、恋人の京谷(田中圭)は元カノである朱里(黒木華)を家に居候させ続けている上に、呉羽(菊地凛子)と浮気をしてしまった。

「幸せでキラキラしてる人は違うね~いつまでも無職で何もしない私とは違うよね」
「あなたが持ってる色んなもの、私持ってない。あんたみたいな人大嫌い!」

晶は、朱里と対面した際、こんな言葉を浴びせられた。
こんな晶の苦しい状況が描写された第5話。追いつめられた晶が、「幸せなら手をたたこう」を歌いながら笑顔で淡々と仕事をこなすシーンが数分にわたって続いた。

もちろん、わたしもこのシーンを見ていたが、ただただ恐怖だった。それと同時に、追いつめられるとこうなってしまう気持ちも、少しわかる気がした。
本当に本当に心から辛いとき、人は笑うことしかできない。辛さを自分で自覚することができない。無意識のうちに涙が出てきたらそれはきっと心が限界ってことだ。

 

個人的には、印象に残った回がもう1話ある。
弱った晶と恒星(松田龍平)が一夜を共にしてしまう第9話だ。

第9話で、晶と朱里はこんな会話を交わしている。

晶「恋愛はしばらくいい。相手にすがって、嫌われないように振舞って、嫌だ」

朱里「じゃあ、ずっと一人で生きていくの?」

晶「一人なのかな?今は二人。私と朱里さん。さっきは三人でビールを飲んだ。会社の同僚と一緒のことで喜んで、女同士で千回のハグ。この前は飲み友達と朝までゲームをした。そういう一つ一つを大事にしていったら、生きていけるんじゃないかな?一人じゃない。じゃないかな?」

様々なブログや考察記事を読んでいると、これが現代の女性の価値観であると称賛されている。実際、わたし自身これには共感する部分があるし、その考察もとてもわかるんだけど。わたしは、この後晶と恒星が一夜を共にしてしまう流れが、この価値観への最終的な答えなんじゃないかと思っている。

お互いに傷ついていた晶と恒星。恒星は晶との関係を特別に思っていて、「性別関係なく人間同士でいられるって貴重じゃない?壊すには惜しい」と言っていたけど、結局こうやって男女の関係になってしまい、最終的には恋人になった。

やっぱり人は限りなく一人で、同僚と喜んでも女同士で千回のハグをしても埋められないものがある。だからこうやって、弱っているときに支えてくれる人をどこかで求めてしまうんだろう。

もちろん一人でも生きていけるぐらい強くなろうってわたしだって思っているし、一人じゃないって思って生きていきたいけど、やっぱりそんなにうまくはいかない。

もしかしたら、最初に引用した晶の考えが正しいのかもしれないし、傷ついた晶と恒星が選択した行動も悪いことではないのかもしれない。お互いに全力で愛し合えている恋人がいれば、もはや弱ることもないのかもしれない。何が正解かなんてわからないけど、結局何が正しかったんだろうって考えさせられるような、そんな答えを探す隙を作ってくれているのがこのドラマの面白いところだ。

わたしたちが心の中に抱えているモヤモヤや矛盾を5tapとクラフトビールを通じて、ちょっとおしゃれに非日常的に描いたドラマ。それが、「獣になれない私たち」なのではないだろうか。

社会人1年目。もっと本格的に業務が始まって、日々の仕事に追われるようになったら、わたしもまたこのドラマに救われる日がくるのかもしれない。本当に何度でも見たい久々の神ドラマだった。Huluで配信されているので、見てなかった人はぜひ。

www.happyon.jp

 

 

言わなかったことに真実がある

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言えなかったこと、言わなかったこと。感情の余白。そういうものにこそよっぽど真実があるのかもしれないということに、気づいてしまった。

そのような、人々が言葉にしない心の隙間みたいな本音を救いあげて言葉を紡ぐことこそ、文章を書く人のやるべきことなんだろう。

でも、それはなんだか逃げることのような気がした。

感情を言語化すると、少なからず人は楽になる。たとえば、別れた彼氏への気持ちを紙に書いて破り捨てて吹っ切るという人は意外と多い。

それをしてしまえば楽なことはわかっている。どんなにしんどいことも、言語化すれば美談で終わらせられる。誰かが共感してくれて、自分の心も救われる。ただ、本当にそれでいいのだろうか。

 

複雑に絡み合ったいろいろな思いがあって、簡単には言葉で表せないような、大事な大事な気持ちを、言語化してしまうのはどこかもったいない気がした。

言えなかったことやあえて言わなかったこと、書かなかったことやあえて書けなかったことの方に、真実がある気がした。

 

だから、しばらく書くことを辞めていた。

このブログはブログというか、わたしの感情整理のために使っていることの方が多かったので、その余白を言語化しないことを意識すると、何も書けなくなってしまったのだ。

もちろん、SEO対策をして、有益なカフェ情報とか面白いネタの記事を書く方が“ブログっぽい”気がするし、世の中的にも需要はある気がする。

けどわたしがしたいことは、そういうことじゃないんだろうなあと同時に思う。

多くの人に文章を読んでもらいたいし、数字として目に見えた結果が出るのは嬉しいけど、少なくとも私が書くことにおいて追求したいのはそういう部分じゃない。

だからたぶん、webライターとかそういうものには向いてないんだろうなと、最近気づいた。ブログで広告収入とかも狙いたくないし、そういう風に自分の文章を消費したくない。じゃあ何がしたいの?って聞かれると、その辺はまだ曖昧なのだけど。

 

たとえば昨日言えなかったことはなんだろう、あの時言わなかったことはなんだろうって思い返していくと、これでよかったと思うこともあれば、後悔の念に包まれることもたくさん出てくる。狭くて深くてぬるま湯みたいな関係は、最初は心地よいけど、だんだん息苦しくなってくるのだ。

言葉にしなかったことや、逆にいえば言葉にしていた部分で、あの人はわたしの感情をどう受け取って、どう思ってくれたんだろう。それとも、何も思わなかったのだろうか。

そんなことを考えはじめると、キリがない。キリがないし意味がないけど、そんな無意味なこともぐるぐると思ってしまうのがわたしという人間である。

「それって生産性がないよね」っていう全ての人に、そんなことはわかってるよ?!って声を大にしていいたい。生産性がないって言ってるその人だって、そんな風にぐるぐると考えたことが必ずあるはずだ。ないとは言わせない。

 

そうやって、言葉にならなかった部分の気持ちを、わたしはもうしばらく大切にしていきたい。

いつかまた言葉にする時が来るから、いまはとことんこの余白に向き合ってみたい。そんなことを思った。

なぜ今その言葉を選んだのか。なぜあの言葉は選ばなかったのか。これがいつまで続くかわからないけど、もうしばらくこの段階でぐるぐるしていたいと思う。

その先でまた何かが生まれれば、その時は読んでもらえたら嬉しいです。

 

こんなことを言っておいて、明日にはさらっとおすすめのカフェブログとか書いてるかもしれないけど。

それぐらい気まぐれな方がきっとちょうどいい。ということにしておく。

大人になんてなりたくない

言いたいことも言えなくなるのが大人になるってことなら、大人になんてなりたくない。
いつのまにか空気を読むようになって、物分かりが良くなった。
「ちゃんとわかってるね」って言われたら、何も言えないに決まってる。

いつだって、正論ばかりが正しいわけじゃない。
結局、欲しいものを素直に欲しいと言えた人が、何でも手に入れていく。

でも、じゃあ大人になるしかなかった人たちはどうすればいいんだろう。

 

子どもじみた考え方にイライラされて、そんなんじゃどこでもやってけないよって辛く当たられた。
でも、ふたを開けてみれば、自分のもどかしい気持ちをぶつけられていただけだったり。
本当はこの人は何が欲しいのか?何を求めてるのか?と考えながら、一人ひとりと丁寧に接しようとしてる自分がばかみたいだ。

 

世の中にはどうしようもないことがある。
人は本当に辛いことがあると、感情を押し殺すことができるらしい。自分で自分を騙すことも簡単だ。
自分を騙せるようになると、辛いとか苦しいとか、自分の中にあるはずの感情に気づくことができなくなる。それが一番怖いことだ。

 

だから、向き合ってみようとするけれども。

それでも、やっぱりどうしようもないことはあるのだ。

 

口にしないことで均衡を保つ関係性がある。
何も言わなければ、見なかったことにすれば、気づいていないことにすれば、みんなが幸せでいられる。
自分さえ知らないふりをすれば、誰も泣くことはない。
一見平穏に満ちた日々を壊そうと思えるほど、わたしは大人にも子どもにもなれなかった。

 

民俗学の本を読んでいたら、人が幸福を感じる瞬間についてこのような見解が述べてあった。

私たちが幸福と感じるのは、「他人とのすばらしい関係が成立したとき」ではないでしょうか。〔中略〕人間というのは不思議なものですね。自分の行いで、身近な人や偶然会う行きずりの人がハッピィになると、心から嬉しいものです。
鳥越晧之「サザエさん」的コミュニティの法則

人がただ純粋に人を思いやって、見返りを求めず小さな心遣いをする。そんな他人同士の小さな親切が当たり前にある日常こそ一番幸せなのだという。

人と人との関係って本来そういうものなのではないだろうか。気休めでもいいからって自分に優しくしてくれる人を求めても、そこに中身なんかないのに。

 

人脈って言葉がこの世で一番嫌いだ。人との関係は脈で表すようなものじゃないと思う。

「で、それをすることで何のメリットがあるの?」

人間関係にメリットもデメリットもなくない?と言ってやりたい。そんなものも飛び越えて何かしてあげたいと思うのが、本当の友達っていうんじゃないの?

 「もっとうまくやりなよ。」ばかみたいだ。打算的な関係性なんてつくりたくない。
でも、今の日本社会では、ちゃんとうまくやれないと生きていけないらしい。そんなことを聞くたびに、泣きたくなる。

 

とはいえ、わたしだってどこか考えて行動してしまう。ここでこういう発言をしておこうとか、こういう風に見せておこうとか。就職活動っていう一種の戦場は、まさにそんな場所だった。(もちろん、すっごく大好きで信頼できる友達に出会えた場でもある。インターンは誰よりも楽しんだ。)

このような行動が一概に悪いことだと言いたいわけではない。器用に生きるということはそういうことだ。それが出来る方がずっとずっと生きていきやすい。
でも、そんな計算をする度に自分のことが嫌いになる。

 「そういうもんだよ」って言うけど。言われてしまえば、そうなのかもしれないけど。
それでも、最後に愛されるのは、ありのままの自分でぶつかっていくことのできる人だったりする。優等生じゃだめなのだ。

 

もっと、わがままになれたら。
好きなものを好きだと言えるようになれたら。
辛いことを辛いと気づくことができたら。
何か変わるだろうか。

どうしようもないことも、全て壊してしまえたら。
そんな勇気はない。 

まっすぐな関係だけ築きたいと思うのに、損得を考えてしまったり。
夢を追いたくて勉強しているのに、現実の収入や世間体を見てしまったり。
矛盾だらけだ。

 

でも、やっぱり人との関係性だけは、損得なんかで考えたくない。わたしはメリットやデメリットで言い表せるような、そんな人付き合いはしたくないのである。

一緒にご飯を食べたり、どこかに出かけたり。そんな風に、好きな友達と一緒に時間を共有して笑い合う時間が好き。この人と仲良くしていれば何かいいことがあるかも、とか、なんだよそれって思う。どうしてもそういう発想は持ちたくない。

もしかしたら、わたしも無意識のうちに誰かを傷つけるようなことをしてしまってるのかもしれないけど。この気持ちだけは、この先何があっても大切にしていきたいと思う。

 

大人になんてなりたくない。
素直に、もっとシンプルに、好きに生きてみたい。
けど、大人になるしかなくて。
そんな矛盾を、ずっとずっと抱えている。

自分の軸がぶれぶれなわたしは、まだどこに到達するかわからない。いつかこの「でも、だって、なのに、けど」を乗り越えて、この矛盾した気持ちに何か答えを出したいと思う。
今はまだ迷走しているけど、辿り着くところがわかった時、また少し何か変われる気がしている。
進む道だけは間違えないように、今のこの気持ちをここに記してみた。

大人にならなきゃいけないけど、まだ子どもでいたい。そう思えるのはいつまでなんだろう。

 

・人生の選択の時に振り返る軸を持つべき。
・チームでの立ち回りは微妙で中間的なものにしない。
1年前ぐらいに、インターンのフィードバックでチームの子が言ってくれたこと、いまだに乗り越えられていなくて、本当に突き刺さっている。
矛盾なんてなくなるぐらい、しっかりした軸を持てるように。もっともっと愚直に努力しなきゃ。

大学生のみなさん、大変なこともいろいろあるけど、お互いがんばりましょう。

「自分で選択する」ということ

就職活動を終えて、思ったこと、感じたことを書いていきたいと思ったのだけれど、全然うまくまとめられないことに気づいたので、思いつくままに少しずつ綴っていこうと思う。

ちなみに今回書くことは、ハリーポッターシリーズを知っていて、ハリーポッター、ヴォルデモート、ダンブルドアの関係性がそれなりにわかる人にしか通じないかもしれない。それなりに伝わるといいなあ。

 

就活に区切りをつけた今、わたしは、ハリーポッターと秘密の部屋で、アルバス・ダンブルドアがハリーに言ったことの意味が、やっとわかるようになった。

 

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引用:(https://item.rakuten.co.jp/gold-cat/10000451/

自分が何者であるかは、もって生まれた才能で決まるのではない。
自分がどういう選択をしたか、で決まるのじゃ。

 

わたしはハリーポッターシリーズが大好きなのだが、ずっとこの言葉の意味がいまいちしっくりきていなかった。

これは、ハリーが宿敵であるヴォルデモートと自分が似ているということに気づいて思い悩んだ時に、ダンブルドアがハリーにかけた言葉だ。

ハリーは、たしかにヴォルデモートと同じような力を持っていたし、共通点も多い。だからこそ、自分がいつかヴォルデモートのように悪の道に走ってしまうのではないかと、ずっと悩んでいた。

しかし、ハリーにはヴォルデモートと大きく違う点がひとつあった。

それは、組み分け帽子がハリーの所属する寮を決める時、「グリフィンドールがいい」と自分で決めたことだ。

ハリーは組み分け帽子の見解だと、スリザリンにも、レイブンクローにも、ハッフルパフにもなることができた。
それでも、ハリーは「スリザリンは嫌だ」と言ったのだ。

それが、ハリーとヴォルデモートの違いだとダンブルドアは言った。

 

「いくらハリーがグリフィンドールを選んだところで、ハリーの中にヴォルデモートみたいになるような資質があるんだったら、そんなに変わらないんじゃない?」

安易な考えだが、わたしはずっとこんなことを思っていた。

 

でも、就活を終えて自分で入る企業を決めた今は、「何を選ぶか」こそ、一番その人が大事にしていることや、その人の人間性が見えるところだと思うようになった。

わたしには、自分の中にゆずれない夢がある。

それを叶えるために、自分がどんな人間になりたいか、そのために何をしなくてはいけないかを突き詰めて考えた時、たどりついたのが今の内定先だった。

自分の人生の中でその夢が叶わないという選択肢はない、というレベルの夢だからこそ、それを叶えるためにやらなきゃいけないことがいくつかあった。

最終的に、2つの企業でどちらに行くか心の底から悩んで、一時期毎日寝込んでいたし、もうこのまま現実から逃げ出したいと思ったこともあった。

それでも、夢を叶えるために必要なことを手に入れられる環境を、自分で選んだ。

それは、ざっくりいえば、自分のやりたいことができて、それなりの収入を得られて、自分を成長させられる環境のようなものだ。

 

だけど、それはあくまでもわたしの中で大切な考え方だっただけで、人にはもっといろいろな選択肢がある。

仕事は淡々とこなしてアフターファイブを楽しむ人生にしたいという人もいれば、どうしても自分でやり遂げたいことがあるから起業する人だっている。

元々の資質や向いていること、得意なことはそれぞれあるけど、誰にだってその選択肢を選ぶことは出来るのだ。

でも、それを選ばなかった。それは、自分が最も大事にしたいことが、選ばなかった選択肢の中からは得られないからなんだろうなあと、今は思う。

 

冷静に考えれば当たり前のことかもしれないけど、わたしは「選択する」ということが、ここまで重要なことだと就活が終わるまであまり気づけていなかった。

どんな大学に入るとか、何のバイトをするかとか、今日何を食べるとか、わたしたちは自然と選択を繰り返して生きている。そのちょっとした選択の中に、その人の価値観が隠れているし、いつもと違う選択をすれば、一気に違う世界が開けることだってある。

就活のような人生のターニングポイントであれば、「自分で選択する」というのはすごくこわいことだ。でも、最終的にはちゃんと自分で決めないと、逃げ道を作ってしまうとわたしは思った。

だから、自分ではっきりと選ぶということにこだわったし、それがあったからこそ、「その企業を選択する理由」を納得するまで突き詰めて考えることが出来た。

もちろん、本当にそこでよかったかどうかなんて、結局は入ってみないとわからないけど、自分で決めたことだから、誰のせいにもすることはできない。全部自分の責任だ。もし違うなあと思ったら、また新しい選択肢を探せばいいし、そうやって繰り返していくんだろうなあ。

わたしは決断することが何よりも苦手なので、どんなに辛くても考え抜くことができたのは、とても良い経験になったと思っている。

 

これからも、自分にとって一番大切なことは何かをしっかりと考えて、たとえどんなに小さな選択でも、大切にしていきたいなあ。

とはいえ、そんな風に気を張って毎日を過ごすのもわたしには無理なので、やりたいことをやって、大好きな人たちと一緒に過ごして、自分の愛するモノに囲まれて、いつも何かにドキドキしながら、ゆるーりと生きていきたいとおもいまーす。

 

そんな今日この頃です。
(もう少し面白い文章が書きたかったけど、まとまらないのが最近の悩み)

関ジャニ∞と渋谷すばるくんのこと

2018年7月8日、関ジャニ∞渋谷すばるくんのテレビ出演が終わった。
わたしはこの日を、一生忘れないと思う。

思えば、辛い時はいつも関ジャニ∞やすばるくんの歌に支えられてきた。
すばるくんが届けてくれる言葉はいつもまっすぐだった。

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8年前の京セラドームで初のカウントダウンコンサート、「ONE」という特別な歌を歌ってくれた時、「手を伸ばせ!悔い残すなよ!まっすぐ生きてくれeighter!」って、すばるくんが叫んでくれたことが今でも忘れられなくて、キーンと響くギターの音がしっかりと耳に残っている。

 

気づけば、関ジャニ∞がバンドをしていることも、音楽に真摯に向き合っていることも、かなりメジャーなことになった。
ファンの年齢層は広がって、コンサートに行けば、家族連れやカップル、男の子2人組まで本当にいろんな人を見るようになった。

一般の人も、他のバンドやアイドルを応援している人も、有名なミュージシャンや俳優さん、アイドル、芸人さんだって、関ジャニ∞のことをこんな風に見てくれる。ただおもろいだけのアイドルじゃないって、こうやってすごく心に響くものを届けてくれる人たちなんだって知ってくれている。

関西のおふざけアイドルって見られがちだけど、それだけじゃないんだよって、それでは収まりきらないグループなんだよって、ずっとずっといろんな人に知ってほしかったから、うれしかった。

わたしがブログに関ジャニ∞のことを書こうと思ったのも、関ジャニ∞やすばるくんが届けてくれるものがやっぱりまっすぐで、わたしも自分が本当に思っていることを素直に書きたいと思ったからだ。

 

わたしが関ジャニ∞を本格的に好きになったのは、2009年のこと。
初めてライブに行った。PUZZLEコン京セラドーム、eighterにとって大事な思い出の曲の一つである「ひとつのうた」の収録があった日だった。

それまでのわたしの中での関ジャニ∞のイメージは、関西のなんかおもろいことやってる人たち。ぐらいのもの。
それぐらいの認識で、なんとなく丸山くんかっこいいなーと思いながら、誘われるままふらっと行った。

 

「ミセテクレーーーーー!!!」

と叫ぶすばるくんの歌声とともに、突然始まったバンドコーナー。
衝撃だった。

その時の関ジャニ∞は、ぜんぜんおもろい人たちじゃなかった。

全身全霊で音楽と向き合って、eighterに届けてくれている。
関ジャニ∞がバンドをしてることすら知らなかったわたしは、「ただのおもろい人たち」だと思ってた人たちが作り上げる世界観に一気に魅了された。愛されているeighterを見て、わたしもeighterになりたい、と心底思った。

もちろん、Jr時代から応援している人たちや、8人時代を知っている人からすれば、そんなの周知の事実だったと思う。それでも、eighterと呼ばれるファンでもなく、ジャニーズのこともそこまで詳しくない、ほぼ一般人だったわたしにとって、関ジャニ∞のイメージが覆された大きな出来事だった。

何でこんなすごいものが、こんなに心がしびれるものが、認知されないんだろう!?もっと広まればいいのに!と単純に思った。その時の関ジャニ∞の世間的なイメージは、まだまだわたしがもっていた関西のなんかおもろい人たち。ぐらいのものだったと思う。

 

それから8年。すばるくんのソロツアー、横山くんのトランペット、関ジャムやメトロック、いろいろあった。提供してもらえる曲も、メンバーが自ら作る曲も、演奏ももっともっとかっこよくなった。そして今では、すばるくんや関ジャニ∞がeighterにどんなに素晴らしい言葉を、音楽を届けてくれているのかが多くの人々に認識されるようになった。

それでも、やっぱりずっとすばるくんは変わっていなくて、最後に叫んでくれる言葉は、「エイターーーー!!!」だった。

 本当に、誇らしいことだと思う。応援していて良かったって、好きになってよかったって、心底思った。

 

**

 

ここまで、結構本気で関ジャニ∞のことを語ってきたが、これに対して衝撃を受けている人もいると思う。

今回、わたしが関ジャニ∞のファンだってことを知らない人も多く見てくれているこのブログに、あえて関ジャニ∞のことを書いたのには、理由がある。

 

いつのまにか、好きなものを好きだと胸を張って言えなくなった。
わたしはこんな感じで、ジャニーズが好きだ。これはわたしと中高が一緒だった人からすれば周知の事実なんだけど、わたしは高2ぐらいからそれを周りに隠すようになった。

ジャニーズが好きだと公言するメリットが、全くなかったからである。
そもそも何も考えずにジャニーズの話ばかりしていたこととか、わたし自身の他の面にもいろいろと問題はあるのだけれど、中学生の時はジャニーズが好きだっていうだけで引かれることも結構あった。
もちろん、同じグループが好きだから仲良くなれた友達もいっぱいいるんだけど、それ以上に色メガネで見られるのが辛かった。

 

だから、大学ではとことん隠すことにした。
一部の仲良い人には話していたし、仲良い人からいろんな人にじわじわと伝わっていたのかもしれないけど。大学3年まで軽音サークルに入ってたし、サークルの人に知られたら生きていけないと本気で思っていた。

でも、いざ話してみると、男女問わず

「好きなものを好きって言えないの辛くない?」
「何が悪いの?別に引くほどのことじゃなくない?」

と言ってくれる人が多くて、何だか拍子抜けした。

わたしが今まで守ってきたものは何だったんだろう、意外と受け入れてもらえるんだ、というのが正直な感想だった。それでもやっぱり、わたしは隠し続けた。

本当はわたしだって、言いたかった。
たとえば、関ジャニ∞のバンドが本気でかっこいいってこと。ちゃんと音楽してるってこと。西畑大吾くんっていうアイドルが最高なこと。何度話したいと思ったかわからない。

それでも、好きなものを好きだっていうのは、一度できなくなってしまうと、本当に難しいのだ。

 

そうやって今まで遠ざけてきたことを、わたしはあえて今回書いた。最後にいろんな思いをぶつけてくれるすばるくんや、すばるくんを笑顔で送り出す関ジャニ∞を見ていて、わたしが好きなひとたちは、そんなに周りに公言できないような恥ずかしいひとたちなの?と自分に対して本気で疑問に思ったからだ。

どんなひとやものにだって、誰かが作り上げてきた歴史があって、思いがある。だから、好きになったことをばかにしていいものなんてこの世にないはずなのだ。誰かが一生懸命支えてきたからこそ、今ここでまた別の誰かの心を掴んでいるものなのに、好きでいることを恥ずべき部分なんて1ミリもないはずなのに、わたしたちはどこか遠慮している。

もちろん、好きなものを好きだってはっきり言えている人もいっぱいいると思う。わたしはそういう人たちがずっと羨ましいと思っていたし、すごいと思ってきた。誰にどうみられるかとかではなくて、これがわたしの好きなものだって言えるのは、すごくかっこいいことだ。それができない人は意外と多い。

とはいっても、わたしもまだ勇気はないので、この記事を書いたことはTwitterFacebookには書けないと思う。もっと、ちゃんと、自分の好きなものや好きなこと、愛してきたものにたいして自信を持てるようになりたい。飾らず、作らず、ありのままの自分で生きていけるようになりたい。

 

すばるくんの最後の姿を見て、わたしが感じたのはこんなことだった。好きなものに対して全力で生きる。簡単なようで、本当に難しいこと。

わたしも何かを貫いて、もっとまっすぐ生きていけるひとになりたい。

 まっすぐ生きてくれって、すばるくんがいつも言っていたこと、絶対に忘れたくない。

本当に、こんな風に思わせてくれるアイドルを好きになれてよかった。今は心底そう思います。渋谷すばるくん、ありがとうございました。これからの6人の関ジャニ∞に期待しています。

純喫茶をもとめて in 新宿【珈琲西武】

新宿で、ゆっくり作業できる場所はないかなぁと探していた時に、珈琲西武に出会った。
東口を出て徒歩3分ほど進むと、メトロビルの2階と3階に入っている純喫茶だ。 

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私がこの時求めてたのは、

  • おしゃれでインスタ映え
  • 落ち着いて作業できる
  • 長居出来る
  • 一人でも入りやすい
  • Wi-Fiがある
  • コンセントがある
  • 禁煙である

こんな環境!
(就活のために、ESを書いたり、面接対策をしたりとしっかり作業したかった)

しかも最近の私のマイブームは、Twitterで純喫茶のパフェをめぐるアカウントを眺めることだったので、できればインスタ映えするパフェがある昔ながらの純喫茶って感じのお店がいいな~ってなんとなく思っていた。

こんなものすごく贅沢な条件でも、さすが大都会新宿。
なんと、全てが揃っているお店があったのだ。それが、珈琲西武

純喫茶といえば煙草が吸えそうだけれど、2階が喫煙席、3階が禁煙席と分かれていたので、全く問題なかった。

わたしはすっかりハマってしまって、3日間通った。
梅雨明けで猛暑になったばかりの東京。
珈琲西武はクーラーがすごく効いていて、本当に快適だった。

 

1日目は、有名なチョコレートパフェ

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贅沢なフルーツ!生クリーム!アイスの上にアイス!
わかってはいたけれど、まずボリュームに驚いた。

フルーツは新鮮でおいしい。
生クリームは意外とさらっとしていてしつこくない。
アイスも重たくなくて、ぺろりと食べられる。

暑い夏にはうってつけのパフェだった。
最高!

 

2日目は、新宿特製オムライス

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とろっとろの卵に、チーズがたっぷり入ったデミグラスソースのオムライス。
一度食べると忘れられない味!毎日でも食べたい!

ここまでチーズたっぷりのオムライスには初めて出会った。
びよーんと伸びるのがたまらないので、チーズ好きにはぜひ一度食べて欲しい一品。

 

3日目は、ミルクセーキ

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純喫茶といえばミルクセーキみたいなイメージが、わたしにはある。
だからこそ、最終日にはこれを飲むと決めていた。

卵と砂糖を混ぜて作った甘いミルクに、ぽとっと一粒入ったさくらんぼ。
王道のミルクセーキだけど、やっぱりしつこくない甘さですっごく美味しかった。

飲んでいる間、ちょっと子どもの頃に戻れたような、ぽわぽわした気持ちになった。

 

新宿のど真ん中にあるにも関わらず、平日の昼間に行っても意外とすいている。友達同士で来た女子高生からお一人様のおじさんまで、本当に幅広い客層が訪れている珈琲西武。

結構シュールな場面にも出くわして、隣では某筋トレジムのOB訪問が行われていたり、反対側では社会人が大学生に保険の勧誘をしていたりと、なかなか普段は聞かない会話が耳に入ってきて、面白かった。

西武カレーというカレーライスも有名らしいので、次訪れる際はぜひ注文してみたい。

 

新宿で暇をもてあましている時はぜひ、珈琲西武へ。

 

本日のカメラ:

今回使用したのは、iphoneアプリHUJI CAMだ。

Huji Cam

Huji Cam

  • Manhole, Inc.
  • 写真/ビデオ
  • 無料

1998年のような気分を味わってほしいというコンセプトで作られた、フィルムカメラ風に撮影できるカメラアプリである。レトロな雰囲気の純喫茶にぴったり!

写真の右下に1998年として日付が入るのも味があって良い。(この日付は設定で変更できるので、2018年にすることも可能。)

いわゆる「写ルンです」みたいな写真が撮りたい方は、ダウンロードしてみて損はないはず。