8cmのピンヒール

月を見て綺麗だねと言ったけど あなたしか見えてなかった

もうオーディション番組にはハマりたくなかったのに

またやってしまった。

Niziプロでアカリちゃんが落ちたのが悲しすぎて、もうオーディション番組なんて見ない!って言ってたのに。というか、見たとしてもハマる予定ではなかったのに。Produce 101 Japan Season2にドハマりしている。

Produce 101 Japanとは、簡単にいえば、様々なミッションやトレーニングを乗り越えて成長していく練習生の姿やパフォーマンスを放送し、視聴者投票で上位11位以内に選ばれた練習生がデビューできるというオーディション番組。

才能があるとかこの人が輝いてたとかそういう話ではなくて、投票がすべて。とにかく視聴者からの投票数が多かった人がデビューできるシステムの番組だ。もともとは韓国の番組で、日本では2019年に第1弾が放送され、今となっては様々な音楽番組やバラエティで活躍しているJO1を生み出した。

第1弾のときは、周りでハマっている友達が多くて、わたしは最終回の直前ぐらいからうっすら見始めて、デビューメンバーが決まってからドハマりした。

hdrikg.hatenablog.com

でも今回は違う、デビューメンバーが決まる前からハマってしまったのだ。しかも、番組全体にハマればいいものの、しっかり推しができてしまった。

 

わたしの推しは、髙塚大夢くん。

youtu.be

とにかく歌が上手いのである。髙塚くんの歌声が好きになり、人間性が好きになり、絶対にデビューしてほしい!!と思って毎日投票しているのだけど、現在の順位は17位。デビュー圏内の11位までは程遠いのが現状…。

とりあえず、このPretenderとか聴いてみてほしい。歌が上手いんです!!!

youtu.be

 

オーディション番組って、自分がいいなー!魅力的だなー!って思ってた人がデビューできなかったときの喪失感が半端ないから、できることなら軽い気持ちでゆるーく見てたかった。でも、ハマってしまったらもうだめだ。

6/13(日)にTBSで最終回の放送があって、そこでデビューメンバーが発表されるんだけど、気が気じゃない。この歌声が聴けなくなったら困る。デビューできなかったら一般人の大学生に戻ってしまうし…。

youtu.be

やっぱり夢に向かって頑張っている子たちの姿って無条件に勇気づけられる。何で人気が出るかなんてわからないし、落とし込みもあるし、投票ですべてが決まるなんて残酷だな~と思うけど、だから全力で番組を楽しめるし良い側面もたくさんある。

なによりこの番組を通して職場の先輩と仲良くなれたり、人間関係のコミュニティが広がったりしたので、そこはすごくよかった!(笑)

誰かを応援することで生まれる熱量って、いいな。わたしはやっぱり誰かを応援することが好きだし、その気持ちを活力にして自分が頑張る原動力にするのが好きだと改めて思った。

ということで、このブログを見て髙塚大夢くんに興味を持ってくれた人は、ぜひ下記URLから大夢くんに投票してほしい。2つの投票方法から1回ずつ投票可能で、6/13まで毎日2回大夢くんに投票できる。

 

GYAO!から投票】
https://gyao.yahoo.co.jp/specials/produce101-vote 
※Yahooのメールアドレスでログイン→SMS認証→【髙塚大夢】に投票


【5GLABから投票】
http://u.softbank.jp/3mxzo9u 
※AR SQUAREというアプリをダウンロード→「もっと推しMENに投票できる!」というバナーをクリック→【髙塚大夢】に投票 

 

はー、こんなにハマるはずじゃなかったのにな。ちなみに6/13は14時ごろからTBSにて地上波で放送がある。放送時間中に投票ができる時間があって、その時間は1票が2倍の票数でカウントされるから、お暇な方はぜひ番組を見て大夢くんに投票していただけるとうれしい。

Niziプロみたいにプロデューサーがデビューメンバーを決めるわけじゃないから、この子にデビューしてほしい!と思ったらこうやって誰かにお願いすることしかできない。もはや選挙活動みたいで苦しくなることもあるが、GYAO!の投票は一瞬でできるので、お手すきの方はぜひまずはGYAO!からURLをクリックしてほしい。

最終回まであと4日。悔いのないように応援がんばるぞー。

サンタクロースは私になった

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幼い頃、サンタさんに手紙を書いたことはきっと誰にだってある。わたしもそのひとりだった。具体的に何が欲しいと書いていたかはあまり覚えていないけど、「欲しい!」と書いたものは必ずもらえたし、「欲しい!」と書いていないものもたくさんもらえた。

 

わたしの家のサンタさんは、家族でクリスマスパーティをしているときに、ベランダに来る方式だった。

 

「はるか、そろそろ来てるかもよ」

 

そうお母さんに言われたのを合図に、わくわくしながらベランダに向かうといつも大きな大きなプレゼントの箱が置いてあるのだ。ひとりっこだからめちゃくちゃ甘やかされていた。

 

なかでも一番忘れられなかったサンタさんからのプレゼントは、幼稚園の年長さんの頃もらった、プーさんの大きなプレゼントボックス。そのなかには、人生ゲームとかカルタとか、家族で遊べるおもちゃがたくさん入っていて、本とぬいぐるみが好きだったからたぶん本とぬいぐるみも入っていた。

 

わがままで、目立ちたがりで、欲しいと思ったものは全部手に入れたくて、世界の中心は自分だと思っていたあの頃。

 

それでものびのびと生きられたのは、家族がたくさんのプレゼントとたくさんの愛をめいっぱい与えてくれたからだと思っている。

 

気づけば、わたしも24歳。

 

ひとりで暮らす日々が当たり前になって、生活を管理するのも全部自分の責任になった。サンタさんに手紙を書いてもきっと誰も読んでくれないし、プレゼントは届かないだろう。

 

でも、不思議とさみしくはなくて。むしろ「貰いたい」より「与えたい」と思うことの方が多くなった。

 

わがままで、目立ちたがりで、欲しいと思ったものは全部手に入れたい。もう世界の中心が自分だとは思っていないけど、そんな自分が心の奥底ではまだ生きている。謙虚だねって言われたり、もっと自分に自信を持ちなよ!って言われたりすることがずいぶん多くなったけど、本当はいつも一番がいいし、いつも真ん中にいたい。

 

そんなマイペースなわたしのことも、大切に思ってくれたり、好きだと思ってくれたりする人がありがたいことにこの世界にはきちんといて、定期的に連絡をくれる。わたしは、それがうれしくて。

 

「クリスマスのかわいいクッキー缶が売ってたから送っておいたよ」

 

今日、お母さんにそう電話した。

この間ディズニーランドで買ってくれたおみやげもたくさんあるのに、買わなくていいよ!とお母さんは言ったけど、もう買ってしまったし、送ってしまっている。

絶対にお母さんが好きなかわいいクッキー缶だったから、見てほしいし食べてほしい。そう思って、買った。

 

かわいいなと思ったものや、欲しいなと思ったもの、以前は自分のためだけにたくさん買っていた。旅行に行っても、自分が使うためのお土産がほとんどだった。でも、今はほとんど誰かにあげるものしか買わない。

 

カナダに留学していた時、仲良くなった大学生の先輩が「自分にはお土産買わないよ。おれは思い出をたくさん持ってるから、ものはいらないかなって。だから友達にあげるものとか、家族にあげるものとかばっかり買っちゃう」って言ってたのがすごく印象に残っているんだけど、いつのまにかわたしもそうなっていた。その人の影響もあるのかな? と思うけど。

 

プレゼントをたくさんくれていたサンタクロース。今となってはわたしが、あの頃もらった愛に溢れたプレゼントをいろんな人たちに返しているような気持ちになっている。時を経て、サンタクロースは私になったのだ。

 

欲しいと言っていたものやその人が好みそうなものを選んで、あげて、喜んでくれたときがいちばんうれしいから。いま、わたしの欲しいものはものじゃなくて、好きな人が喜んでくれたときの笑顔や言葉だったりする。きれいごとみたいにきこえるかもしれないけど、本気でそう思っている。

結局わたしは、わがままで、目立ちたがりで、欲しいものは全部手に入れたいのだ。欲しいものが"もの"じゃなくなっただけだ。

 

サンタさんが子どもたちに贈り物を届けているのは何でなんだろう? って思っていたけど、もしかしたらサンタさんも、「ありがとう」の言葉とか、笑顔とか、そういうものが欲しかったのかもしれないな。人がもらって嬉しいものは"もの"だけじゃないから。本当に嬉しいのは、ものじゃなくて、その奥にある気持ちとか言葉だから。

 

なんだか、サンタクロースの気持ちが分かった気がした。

今年のクリスマスも、温かい気持ちで過ごせる気がする。今日、実家にクッキー缶を送ってよかったな。そう思った夜だった。

 

東京は怖い街?

高田馬場で降りると、前髪をセンターパートにした大学生がうじゃうじゃと歩いていて、あぁこれが最近の流行りなのか、と知る。

ついこの前のことだと思っていたのに、いつしか学生だったのも遥か昔のように感じることが増えた。

 

「あまり人に期待しない方がいいよ」

 

わたしにそうアドバイスをした先輩は、今もそんなことを思いながら生きているのだろうか。特に連絡も取っていないけど、あの時の先輩はたしか2年目だったな、と思って、ああ、もうわたしもあの人と同じ年次になったのか、と気づかされる。

 

大人になってからの人間関係は、打算的なものばかりだとよく聞いていた。だから社会人になる前にたくさん友達を作っておけとも言われた。わたしもいつかそうやって損得を考える人間関係の作り方をするようになるのかなって思ってた。けど今のところ、その気配はない。

 

それがわたしにとって得することなのか、損することなのかはわからないけど、仕事でもプライベートでも、好きな人には好きだと言うし、楽しければ楽しいと言うし、ポジティブな感情はいつでも何でもど直球に主張する。嘘がつけないから本気で思ってることしか言えないし、たぶん営業は向いてない。

 

それでも、わたしも変わった。大人になんかなりたくないとずっとずっと思っていたけれど、もうすっかり大人になってしまった。

かつてのわたしは大人になってもっともっと強くなって、東京で胸を張って生きていけるようになりたいと言っていたけど、果たしてそれが幸せか? と言われると、「うん」とは言えないわたしが既にいる。

 

自分を犠牲にすることにも、他人に期待しないことにも、失うことにも慣れてくる社会人2年目。

とはいえ、毎日楽しくないわけじゃない。仕事は好きだし、同期や先輩や上司も好きだし、友達も好きだし、嫌いな人なんていない。生きていて嫌なことなんてない。ただ少し、虚しいだけだ。

 

これでいいのか? と思うことが多い。働いて、働いて、その先に何があるのか? 目の前の仕事をどんなに丁寧にやったとしても、健康を保とうとすることを許されなければ、結局自分のすべてを犠牲にするだけじゃない? って。

 

ふとLINEを開くと、学生時代に友達だと思っていた人から転職エージェントの紹介やネットワークビジネスの勧誘が飛んできていた。街を歩いていれば「この近くにおすすめのカフェありません?」と貼りついたような笑顔の男女カップルに声をかけられ、スーツを着たビジネスマンに「将来のこと、考えてますか?」と言われる。わたし、そんな騙されやすそうに見える?

 

そういった営業をかけられると気持ちがすっと冷めていくのを感じる。特に昔からの知り合いだと、もうこの人とは連絡がとれないな、と思ってしまう。その瞬間が一番悲しい。仕事をしていくうえで営業活動っていうものはどうしても必要だけど、一見優しく、友達としてのコミュニケーションっぽく振る舞って利益を得ようとするパフォーマンスが好きになれない。

 

だからこそ、人に優しくすることだけが優しさじゃないと知った。ちゃんと喧嘩できたり、思ってることを言えたり、逆に言わなくていいことは言わなかったり。これを言ったらどう思われるかとかどううまく操るかとかそういうことに囚われて、自分のことばかり考えるのではなく、相手を思いやって発言や行動を選んでこそ健全な関係を築けるのだ。きっと。

 

もうこの人になら騙されてもいいや。最終的には、そう思えるぐらい大事に思える人だけを大切にできていれば、それだけでいいような気もする。そこまで強い気持ちで信頼したいと思って騙されたとすればもう、それはそれで正しいのかもしれない。信じることは自由だし、信じてもらうことも自由。誰のことも信じなくていいけど、信じたいと思える人のことは信じたい。

 

東京は怖い街? と問われると、わたしは何と答えたらいいんだろう。怖いような、怖くないような。どちらともいえると思う。どちらでもあると思う。ただ、東京にはいろんな人がいて、わたしもそのなかのひとり。それだけだ。

 

「あまり人に期待しない方がいいよ」

 

あの時言われた言葉が響く。今となってはすっかり共感できてしまうけど、やっぱり、そんなの寂しいとも思う。22歳のわたしが、大人になろうとするわたしを止める。平日は接待に追われ、休日もキーボードを叩いて企画書を作っていたあの人。理不尽なことばかりで疲れていたんだろうな。気づけなかった。気づかなかった。当たり前だ。学生だったから。わかっていても、もっと気持ちに寄り添うことができたらと、未だに思うことがある。

 

何が正しいとか、何が間違っているとか、そういうものはきっとない。全部が正しかったし、全部が間違っていなかった。あの時のわたしはそういう態度しかとれなかったし、社会人になった今のわたしにはわかることが増えた。でも、もう少し何かできることがあったんじゃないかと、そう思ってしまう。子どもは大人に憧れ、大人は子どもに憧れる。わたしにとって、東京で社会人をしている先輩はキラキラして見えた。でも、先輩からすれば学生のわたしが眩しかっただろう。

 

こういうことを積み重ねることで自分の糧になるとか、よい経験になるとか、そんなあざやかな言葉は使いたくないし、形容することで自分の人生を美化したいとも思わない。エモい表現ならいくらでも使えるけど、そういうのも飽きてしまった。

 

わたしはわたしでしかない。わたし自身をつくるのは、これまで自分が選択してきたものと、これから新たに選択していくものだけだ。

 

ずっと明るくしている必要はないけど、自ら暗くする必要もない。大好きな人やものやこと、それらをとりまく空間を愛して、それだけを大切に生きていけばいい。そうすれば、どこで生きようと何をしていようと、怖いものなんて何もないはずだ。

 

東京は怖い街?

 

ありがちだけど、それは自分次第なのかもしれない。物事をどう捉えるか、どう考えるか、そこからどのように生きるのかを決めるのは、結局わたしだから。

 

わたしはわたしの好きなように、もう少し生きてみようと思う。信じたいものを信じて、大切にしたいものを大切にして、ただ、まっすぐに。

できることなら、何も書きたくない

そりゃわたしだって、できることなら書きたくない。

 

そんなことを思いながら、今日もキーボードを叩いている。とんだ矛盾だ。
だって、誰がさらけ出したいと思う?
過去の恋愛のこととか、趣味のこととか、日々心に抱えているモヤモヤした気持ちとか。そんなの、できることならどこにも公開したくない。誰にも見せたくない。

 

でも、気づいたら書いているのだ。
人に話せないような、話したくないような、生涯誰にも言わないでおこうと決めていたことまで、いつのまにか文章になっている。
本当におかしな話だ。

 

「自分の人生をコンテンツ化して、仕事にしよう!」

 

昨今では、そういうことがかなりいろいろなところで言われているけど、それってつまり身売りだからね? どれだけ身を削る思いで、日々文章を書いていることか。じゃあやめればいいのにって? やめられないから書いてるんだよ!!!

 

わたしにとって、書くことはもはや「衣食住」と同じだ。
着ること、食べること、住むこと。
これが人間の生活に必要な基本の三要素。


わたしの場合はこれが、「衣食住書」となる。イショクジュウショとでも読めばいいだろう。
着ること、食べること、住むこと、書くこと。
この四要素があって、わたしは初めて生活することができる。

 

日々どんなに疲れていても、落ち込んでいても、イライラしていても、わたしたちは「衣食住」をやめられない。朝起きてご飯を食べて服を着る。その生活の拠点である家に住む。これをしないと、物理的にわたしたちは生きていけない。住むところがないと寝られないし、ご飯を食べないと栄養失調になるし、服を着ないと社会的にヤバイ人になる。

 

これに加えてわたしは、いつだって書くことをやめられない。どんなに些細なことでも、自分のなかから湧き出てくる感情があれば、それを文章に落としこみたくなるのだ。仕事が終わらなくて終電で帰ってきても、観たいテレビ番組があっても、「書かなきゃ」と思ったら気づけば書いている。やめられないのである。「書くこと」が日常のなかにない状態で、どうやって生活すればいいかわからない。

 

ほんと、とんでもない体質に生まれてしまった。これじゃどこまでも苦しいばかりだ。書いて、書いて、書いて。記事を上げて。毎日自分のことをネタにして。見せたくないのに、見られたくないのに。なにこれ、ほんまにあほなん?

 

日々そうやって、「いややー」「なんでー」「なんで書いちゃうんー」と思いながら文章を書き続けているわたし。本当にばかである。

 

でも、やめられないのは確実に、「楽しいから」そんな単純な理由もある。
わたしは書くことが好きなのだ。どんなにちょっとした日々の出来事でも、自分の感情と結び付けて文章にすることで、日常を彩っている。

 

日常のなかでの「書く」という行為を、わたしは心から面白いと思っている。どんな表現を使って何をどのように書くか、考えるのが楽しくて楽しくて仕方ない。
それは、生活において必須な「衣食住」をわたしたちが大いに楽しんでいるのと同じだ。好きなブランドで服を買ってコーディネートしたり、新しいレシピを考えてほかにはない美味しい料理を作ってみたり。居心地のよい家に住むために、インテリアを工夫したりDIYに挑戦してみたり。それと何一つ変わらない。
わたしにとって「書くこと」は、生活において避けられないものであり、娯楽のひとつでもあるのだ。

 

昨今の事情で外出自粛がうたわれるようになって、最初に思ったことは「これでたくさん書ける」ということだった。本当にどうかしている。

書きたくないのに、書くことをやめられないなんて。


クリエイターとか全然なりたいと思ってないけど、気づいたら書いて身を売っている。もはや身売りの天才なんじゃないかと思ってきた。身を削って、削って、削りに削っても、それでもなお、書かないと生きていけない。活字中毒? それとも少し違う気がする。こういう体質のこと、なんていったらいいんだろう? 書くことは麻薬。とりあえずそんな感じで言ってみる?

 

こんなことを言いながらキーボードを叩き続けているわたしは、やっぱり何かおかしいんだろうけど、それでもきっと今日も明日も明後日も書き続けるんだろう。日常のなかの出来事をネタにして、身を削り続けてしまうんだろう。ばかだとでも、あほだとでも、何でも言ってくれ。わたしだって本当は身を売りたくない。

 

きっとこういう風に「どうしてもやめられないこと」が本当は心からやりたいことで、大好きなことなんだと思う。やりたいことがわからない、という人は多いけど、「やめたくてもやめられない」これがすべての答えな気がするのだ。

 

あーばかだなー、と本当に本当に心から思っている。心の底から思っている。それでもやはりわたしは、この文章を書き終えたあと、「公開する」のボタンを押してしまうんだと思う。それはもうきっと、そういうことだ。よけいなことを考えなくても、そこにすべてが集約されている。それに尽きる。

 

そりゃわたしだって、できることなら書きたくない。
本当に本当に、書きたくないのだ。

わたしが書いてきたもの【Portfolio】(2023.02.24更新)

自己紹介とわたしが得意なこと、書けるもの、これまで書いてきたものを一度きちんとまとめたく、とりあえずここにまとめてみることにしました!そのうちどこかに移行する可能性もありますが、まずはここで!

 

【自己紹介】

名前:はるか

ライターネームとして「はるぴー」「ゆりのはるか」などをこれまで使っていました。

年齢:26歳

出身:関西

職業:webメディア編集・広告制作

ジャンル:エッセイ、恋愛エッセイ、コラム記事、まとめ記事、SEO記事

 

★執筆実績一覧

 

はてなブログ内 おすすめ記事】

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できることなら、何も書きたくない
https://hdrikg.hatenablog.com/entry/2020/04/16/141855
※どうしてもやめられない、大好きなこと「書くこと」をテーマに書きました。

 

東京は怖い街?
https://hdrikg.hatenablog.com/entry/2020/11/17/205711 
※東京で暮らし始めて、大人になってしまったわたしのことを書きました。

 

サンタクロースは私になった
https://hdrikg.hatenablog.com/entry/2020/12/18/001530
※本当に欲しいモノは、モノじゃなくて、その奥にある気持ちとか言葉なのかもしれないということを書きました。

 

【これまでの執筆履歴】

▼天狼院書店 メディアグランプリ掲載

天狼院書店さんのライティング・ゼミに参加し、掲載していただけたものです!
コラム記事からキュレーション記事まで幅広く書けますが、一番得意なのはこのエッセイのような分野です。一瞬の感情を切り取って言語化するのが好きです。

 

主な記事:

恋に飢えていると、お菓子を食べてしまう
http://tenro-in.com/mediagp/123153
※満たされない気持ちを満たしてあげられるのは自分だけ。


心を奮い立たせるのは、アイドルの彼への嫉妬心
http://tenro-in.com/mediagp/124170
※嫉妬心がある限り、夢は終わらない。だからわたしは今日もライブに行く。

クリームパスタが食べたかった日のこと
http://tenro-in.com/mediagp/125369 
※欲しいものは、自分で掴み取りに行かないと手に入らない。

100万PVの記事なんかより
http://tenro-in.com/mediagp/126218
※嘘で作ったわたしなんかより、ありのままのわたしが好き。

アイドルに求められるのは「ストーリー性」である
http://tenro-in.com/mediagp/128248
※なにわ男子の描くストーリーが、夢を追いかけて頑張る原動力となる。

 

直感に頼りすぎたから、わたしは彼を失った
http://tenro-in.com/mediagp/129190
※「これだ」と思い込む前に、人やモノに深入りする勇気を持つ。

 

母のお好み焼きには具がたくさん詰め込まれている
http://tenro-in.com/mediagp/131462
※完成されたものを大切にしながらも、そこに新しいものを足していく挑戦を。

 

やりすぎなくていい。少しずつ、続けていく。
http://tenro-in.com/mediagp/133177 
※美容部員さんから学んだこと。ちゃんと続けられるわたしになるために。

 

恋人でも兄でも友達でも先輩でもない彼の部屋で、聴いていたあの曲のこと
http://tenro-in.com/mediagp/133917
yonigeの『ワンルーム』と、あの6月のこと。

 

その手紙に返事が来なくても、わたしは愛を込めた。
http://tenro-in.com/mediagp/134573
※想いを届けようとすることそのものに尊さがある。

 

たった一言で、静かに失った人間関係のこと。
http://tenro-in.com/mediagp/137503
※一期一会の出会いを大切に。友達は、タイミングが全て。

 

天狼院書店は、愛すべきわたしのストーカーだった。
http://tenro-in.com/mediagp/139405
※ライティング・ゼミを受ける前のこと、受けてからの日々のこと。

 

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▼天狼院書店 READING LIFE掲載

天狼院書店さんのライターズ倶楽部に所属し、掲載していただけた文章です。

主な記事:

伝記に載られなくても、「記憶に残る仕事」はできる。《週刊 READING LIFE Vol,84 楽しい仕事》
http://tenro-in.com/reading-life-vol-84/135413

 

教養を身に着けることが、大人になるための第一歩となった《週刊READING LIFE Vol,86「大人の教養」》
http://tenro-in.com/reading-life-vol-86/136874 

 

日常のなかにメタファーは溢れている《週刊READING LIFE Vol,87「メタファーって、面白い!」》
http://tenro-in.com/reading-life-vol-87/137684

 

夢を追う。失う。それでも、光を求めるか。《週刊READING LIFE Vol,88「光と闇」》
http://tenro-in.com/reading-life-vol-88/139763

 

愛想笑いは、心からの笑顔のもと《週刊READING LIFE Vol,91 愛想笑い》
http://tenro-in.com/reading-life-vol-91/141798

 

“今”は、いつか焦がれる思い出の1ページとなるから《週刊READING LIFE Vol,92 もっと、遠くへ》
http://tenro-in.com/reading-life-vol-92/142739

 

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▼関西の学生向け情報メディア きっとみつかるカフェでのライター活動

https://i-like-it.jp/staff/harupi/

学生向け情報メディアにて、食レポ・体験レポート系記事や大学生のあるある系記事などを企画・執筆していました。 

 

主な記事:

【絶対に送るな】女子に嫌われるあけおめLINEを集めてみた。
https://i-like-it.jp/news/0971/

※毎年年末年始になるとPVが伸びているそうです。笑

 

【大学生の1日シリーズ】立命館大学政策科学部3回生女子のとある1日
https://i-like-it.jp/news/daily-003/

※時期に合わせて学生に需要がありそうな記事を執筆していました。(これは春掲載)

 

【疲れた時こそ、心に癒しを】「泊まれる本屋」に泊まってみた
https://i-like-it.jp/news/1013/
※ホステルの体験レポートです。

 

【可愛い店内が女子会にぴったり!】チーズ料理専門店 CHEESE CRAFT WORKSに行ってみた。

https://i-like-it.jp/news/1077/

※いわゆる食レポです。

 

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▼有給インターン専門求人サイト「インターンバイト」へのコラム寄稿

https://www.internbaito.com/

資格、留学、就活など大学生が興味を持つようなジャンルのコラムを多数執筆、寄稿していました。

 

主な記事:

【大学3年生向け】就職活動に向けて…「自己分析」をしてみよう!
https://www.internbaito.com/column/detail3134.html
※就活関連のコラムは複数執筆していました。

 

ビジネスマナーを身に着けよう★秘書検定のススメhttps://www.internbaito.com/column/detail2150.html

 

英語力を上げたい!大学生必見★英語学習にオススメのアプリ3選
https://www.internbaito.com/column/detail2654.html

 

あなたの人生を変える!留学に挑戦しよう!~カナダ(バンクーバー)編~https://www.internbaito.com/column/detail2840.html

 

【大学1,2年生向け】“今”だから出来ることをやろう!~大学生の間にやるべきこと~
https://www.internbaito.com/column/detail3091.html

 

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▼女性向けネイルキュレーションサイト「NAILPIC」キュレーター活動
 

https://nail-pic.com/

現在はサイト自体が閉鎖してしまいましたが、ネイルデザインのキュレーション記事の作成を行っていました。新規の企画・執筆から過去記事のリライトまで携わっていました。

 

ハロウィンは仮装も大切だけど、指先も忘れないで!♡人気のハロウィンネイル厳選10選ご紹介♡
https://nail-pic.com/articles/6h7io/

 

【2018最新】いつの季節でも使える♫魅力的なレッドネイル30選

https://nail-pic.com/articles/vsuji/

 

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▼note

https://note.com/hrk84y

更新頻度低いですが、気が向いたときに更新しています。
主にあまり長くない恋愛エッセイ的な文章をゆる~く投稿しています。

 

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Instagram

これまで書いてきた文章をぎゅっとまとめたり、新しく短い詩のような文章を書いたりしています。いつか歌詞のようなものを書いてみたくて、練習です。

https://instagram.com/_lilysg4?igshid=YmMyMTA2M2Y=

 

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▼他ブログ

諸事情により記載できないですが、そのほかGoogle検索上位を頂いたり、Twitterでバズったりしたブログを多数執筆した実績があります!

 

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取り急ぎ、ここまで!また編集します!

消費するように日々を生きている

コンビニ食だけじゃ健康になれないってわかってるけど、今日もセブンイレブンでサラダを買った。寮生活で共同キッチン、仕事は比較的ハード。自炊する余裕なんてないって言い訳を繰り返して気づけば1年。


部屋でNetflixを見てだらだらと過ごす。そんなありきたりな日常。ちょっとしたことにストレスをかけたくなくて、快適ばかりを取っているから出費もかさむ。いつのまにかHuluとFODにも月額費を支払っていた。


最近見た映画で、主人公の女性・ホリーが自暴自棄になり、乗っていたタクシーを止めて猫を捨てるというシーンがあった。外は雨が降っていた。その様子をみてあきれかえった連れの男性・ポールは、こう言って出て行った。

 

「君は愛さえも認めない。人のものになりあうことだけが幸福への道だ。自分だけは自由の気でいても生きるのが恐ろしいのだ。自分で作った檻の中にいるのだ。その檻はテキサスでも南米でもついて回る。自分からは逃げられないからだ。」


誰かに囚われたくないから逃げて逃げて逃げて、可愛がっていた猫にすら名前をつけず「cat」と呼んでいたホリー。

自分に自信はたっぷりあるくせに、いつも何かに怯えながら、「男はみんなネズミ」と言って親しくしていたポールすらも突き放す。


結局彼女は思い立ったようにタクシーから降りて、必死で猫を探し、ポールの愛をも受け止めることを決意するのだけれども、その後どうなったのかは誰にもわからない。


これはかの有名な「ティファニーで朝食を」という映画のラストシーンだ。


見終わったあと、しばらく人と人との関係のこととか、自分とか自由って何なのかとか、そういうことを考えた。


ひとまずどこかに何かを書き留めたくてFilmarksに会員登録をし、レビューを書いた。

わたしは素晴らしい映画だと思ったけど、評価はそこまですごく高いというわけでもなく、賛否両論あった。


特にポールの「人のものになりあうことだけが幸福への道」という台詞には否定的な声も多いように見受けられた。

たしかにこの台詞が正しいとは一概には言えないけど、わたしはすごく納得している。


ただ消費しているだけの毎日が続くのは、人と密に関係することが圧倒的に減ったからだと思う。


好きなものを買って、好きなものを食べて、好きなようにお金を使って、好きな時間を過ごして生きる。これがわたしの生活。まさに何にも縛られていない自由な生活だ。


しかし、たとえ自由でも、決して毎日がキラキラしているとは言えない。あーー生きててよかった!幸福だ!って思える瞬間は、一人で暮らし始めてからむしろ少なくなった気がしている。


趣味は多い方だと思うし、仕事も楽しくないわけじゃないけど、家族も恋人もそばにいない日々は、ただ淡々と流れて行くだけだ。


生活の一部を誰かと共有していると、自分の存在価値を無意識のうちに見出すことができる。お互いの状況を見て、掃除や洗濯、料理や洗い物を役割分担すれば、暮らしていくなかで必ず人に必要とされる瞬間があるからだ。


一人暮らしだと、誰にも何も求められない。好きな時間に好きなことができるのは楽だけど、自分がいなくなっても誰にも支障が及ばないと思うと、生きることを頑張らなくなる。1日3食きっちり食べなくても、睡眠時間を短くしても、特には問題ない。仕事に支障をきたさなければ、誰も迷惑しない。わたしはこれをとても虚しく感じる。


少しばかりの拘束は自分の存在価値を認める要素のひとつになるのかもしれないって、最低限の家事をこなして淡々と過ごしていくなかで思うようになった。もちろん人によりけりだとは思うけど、わたしの場合、誰かと暮らしていく方がよっぽど幸福で健康的だ。


人に依存したり、人を強く求めたりすることが怖くて、かつては逃げてばかりだったわたし。ホリーを見ていると、性格は正反対なのに、どうしても憎めなくて、自分に似ていると思うところもあった。

 

ホリーがそうしたように、わたしもそろそろ消費するだけの日々とコンビニ食から抜け出したいけど、きっと明日も、セブンイレブンでサラダを買って帰るんだろう。今日はシーザーサラダだから、明日はツナコーンとごまドレッシング。


ホリーは、何が怖いのかわからないけど突然何かがこわくなったとき、タクシーに飛び乗ってティファニーのショーウィンドウを見にいくという。ティファニーには不幸なんてないから。このときの気分を彼女はレッドな気分と呼んでいた。


わたしにとってのティファニーは、今のところNetflixで観る映画かもしれない。映画のことを考えていれば、自分の現実を見なくてもよくなるから。レッドな気分のことなんて忘れられる。


大好きなサービスだけど、Netflixに課金しなくても生きていけるような、生活のなかで誰かを思えるような、そんな生き方がしたいなと、何となく思った。

心を揺さぶるのは、大嫌いで大好きなモノ

結局のところ、人は感情のブレに弱い。「ギャップ萌え」という言葉があるように、もともと知っていたモノについて、自分の想像の範疇になかった姿を見ると、とてつもなく感情が揺さぶられる。そして、いつのまにかそのこと以外考えられなくなって、嫌いだって思っても、結局好きになっていたりする。

 

わたしは何事も直感型だから、直感的に好きになったモノのことは永遠に好きだけど、もともと好きなモノに対してこういう感情のブレが発生してしまうともうだめだ。こういうところが大嫌いって気づいてしまって、だけどやっぱり大好きなのに変わりはなくて、なんだか離れられなくて。いつのまにか、嫌いなところすらなんだか癖になる。こうなるともう抜け出せない。

 

ある日の仕事終わり、わたしは学生の時のことをぼんやりと思い出していた。京都の中学に入学して、新入生歓迎公演を見て心を奪われた演劇部に入ったときのこと。そこには、綺麗で可愛くてかっこよくて演技が上手くて、世間一般的なイメージとして持たれがちな演劇部の印象とはかけ離れた世界で生きている先輩がたくさんいた。

わたしはとんでもない人見知りなので、全然馴染めなかったけど、夏休みも休むことなく、たとえ自分にやることがなくても、淡々と部活に通っていた。

高校生になると大会が本格的になって、部員も増えた。悩んであがいてもがきながらも、全国大会に行くっていうひとつの目標に向かってみんなで突き進んでいたあの頃。

 

わたしは演劇が大好きで大嫌いだった。部活そのものは大好きだったけど「演劇」そのもので考えると、そこにはさまざまな感情がある。

6年間演劇部に所属していたけど、わたしは演技への苦手意識がずっとある。それは今も変わらない。

はじめての演技の記憶は、幼い頃所属していた芸能スクールでのレッスン。鶴になりきれ、と言われて、全然上手くできなくてこっぴどく叱られたのを覚えている。悔しかった。人生ではじめて、信じられないぐらい泣いた。

わたしの部活は演技と一緒にダンスで表現するところに定評があったのだけれど、苦手意識に関してはダンスも然り。かつて大きな舞台のオーディションで、覚えが悪くて最初は前にいたのにどんどん後ろにいかされた時の記憶はこびりついて離れないし、少なくとも2年ちゃんと習っていたHIPHOPのことも、正直もう記憶にない。

表現者として自信のあるものが、何一つなかった。わたしの声には抑揚がなくて、感情がこもっているように聞こえないと指摘された。もうほんとに向いてないんだって思った。

でも、わたしは演劇が大好きだった。演技をしている間は、自分じゃないほかの誰かになることができる。ほかの世界に入り込むことができる。楽しいことばかりではない独特の世界観を、みんなで考えて創りこんでいく。

夏休みには朝から晩まで詰め込んで練習を行なって、休憩時間にはホールの椅子で寝た。雨の日の放課後、みんな授業が忙しくて暗い倉庫にひとりでペンキを塗りに行ったこともあった。本番前にはみんなでメイクをして、楽屋で差し入れを食べて少しお喋りして、楽しもう!って言って円陣を組んだ。そして、緞帳が上がる直前、独特な緊張感とともに、自分ではない誰かになった。

そのすべてが楽しくて、もっと上手くなりたくて、みんなのなかの一人ではなくて、役として存在感を残せるようになりたいとも思った。でも、真面目に取り組めば取り組むほど、どうすればいいのかわからなくなっていった。

 

圧倒的に主役が似合う親友や外部で努力を重ねて功績を残す同期に憧れ、考えることがたくさんあった。何をするにおいても自分は選ばれる側にはなれないんだな、って尽く思った。それはただわたしの努力が足りなかったうえに、努力の仕方を間違えていたということも大いにあると思うんだけど、当時のわたしはそれに気付けるほど大人じゃなかった。

 

重く考えすぎだってよく言われる。でも、わたしはそれぐらい必死で焦がれていた。どんな面でも誰にも勝てている気がしないし、嫌になることもたくさんあって、演劇向いてない、大嫌いだって思う日も幾度もあった。それでもやめられなくて、ずっとずっと。気づいたら自分に納得できないまま、月日だけが過ぎていた。結局わたしは中途半端なまま、演劇をやめた。

何事も悔しいという感情を抱かなくなったら潮時なんだと思う。大好きで大嫌いだった演劇をやめて後悔しなかったのは、自分よりもっと向いてる人がいるって気づいたからだ。

 

それでも、表現することだけはどうしてもやめられなかった。とても辛くて苦しくて、何も考えたくない日も、考え続けなければいけない。それが何かを表現するということなのに、そんな苦しみがあるとわかっていてもなお、そこからは離れられなかった。

 

だからわたしは今日も書いている。演劇への苦手意識をきっかけに、自分は表現者に向いてないって思うことが増えて、本当は今も書くのが少し怖い。書くことが100%全力で好きかって言われたらやはりそうではなくて、どうしても書けない日もある。仕事でもたまに何かしらの文章を書くことがあるけど、何をどう表現すればいいのかわからなくなって、もう考えたくない、って嫌になることの方がむしろ多いかもしれない。

そういう日は書くことなんて大嫌いだって思うけど、それを乗り越えて納得のいくモノを生み出せたときには、大好きだって思う。

本当に都合の良い思考回路だけど、何かに本気で向き合っていたら、きっと誰だってこうなると思っている。

 

大嫌いで、大好きで、だけど大嫌いで、やっぱり大好きで。そういう感情に揺さぶられて、人は何かに夢中になるのだ。

だからわたしももう少し、「書くこと」を通して表現と向き合ってみようと思う。

カタチは変われど、大嫌いで大好きなものの軸はずっと変わっていないんだなと、気づかされた夜だった。