東京に、恋焦がれる
トウキョーに、夢を見ている。
つめたくてあかるい街、東京。
きれいな思い出も、ばかな過ちも、
ぜんぶぜんぶ飲み込んでしまうような、
そんな恋。
のような。
トウキョーへの淡い想い。
こんなばかげたことを言えば、東京の人は笑うだろうか。東京なんて人が多いだけだよ、とか、特に何も無いよって言うのかもしれない。
別に、都会に憧れているわけではない。なんなら、わたしはすでに都会っ子だ。あべのハルカスを臨める大都会あべのに住み、御堂筋沿線で生活している。定期券内に天王寺、なんば、心斎橋、梅田の全てが含まれ、道頓堀も電車で10分で行ける。関西人の中なら、恵まれすぎてるほどの都会育ち。それでも、わたしが東京に恋焦がれるのは、なぜか。
それは、東京が無機質な街だからだ。
午前8時。乗降客数世界一を誇る新宿駅は、人で溢れかえる。満員電車に押し込まれ、苦しそうな顔をしながら通勤する人々。人を人と思えなくなるような、詰め込まれた車両。
初めて東京に1人で来た時、わたしは本当に孤独だった。
インターンの面接は10分で終わり、連絡するような知り合いもいない。どこで時間を潰せばいいのかもわからない。追い詰められたわたしは、なんとなく六本木に足を運び、スターバックスに3時間滞在した後、東京シティビューに1人でのぼった。
スーツを身にまとい、たった1人でスカイデッキを歩き回る姿は、きっとあまりにも滑稽だっただろう。それでも、特に何か言われることはなく、わたしはただ淡々と写真を撮った。話しかけられるような人もいなかった。
人情味溢れる大阪に比べて、ビルが溢れて、人やモノも溢れているのに、つめたくて無機質だ、そう思った。
だからこそ、惹かれた。
こんなにもたくさんの人がいるのに、何故こんなにもこの街はつめたいんだろう。そう思うと、興味を持たずにはいられなかった。
でも、状況は変わった。
また東京に来た時、季節は秋になっていた。
わたしはインターンを通じて、東京に友達ができていた。
知らない街でひとり。
Googleマップに惑わされて、何度も道に迷った。わけもなくさみしくて心が折れそうになっていた。
でも、そこに友達が現れるだけで、世界は一気にあたたかくなった。
定番の渋谷ハチ公前での待ち合わせ。
東京駅ラーメンストリートのつけ麺。
初めて見た丸の内駅舎。
新宿駅西口の台湾ティー専門店。
わたしにとっての東京に、少しずつ色がついていった。
無機質だと思っていたのは、わたしが東京を知らなかっただけだった。一緒にご飯を食べてくれる人がいるだけで、世界はこんなにも明るくなるのかと心底思った。
同時に、大阪も所詮地方だと知った。
都会っ子だと思っていたけれど、東京には適わない。最新のカルチャーがたくさんあって、新しい流行がそこにはある。初めて東京に憧れる人々の気持ちがわかった気がした。
だからわたしは、トウキョーに夢を見ている。
無機質で、何でもあるのに何も無いように感じていた、わたしにとって未開の地、トウキョー。
そんな土地で大好きな人たちに会い、ご飯を食べることで、街があたたかくなっていく。 周りの人の大切さや優しさのありがたみを、改めて感じることのできる街、トウキョー。
大阪よりもスピード感があって、経済の中心は此処で回ってるんだって主張を無意識に感じさせられる、トウキョー。
温かさを知ってから、もっと東京に夢中になった。
東京は怖いとか、見栄っ張りの集まりとか、わたしの好きなアーティストたちは歌うけど、少しぐらい夢を見てもいいのではないだろうか。一生に1度ぐらい、ここなら夢を叶えられるかもしれない、って淡い期待を抱いてもいいよね?
こんなことを言っていたら、「そんなに甘くはないよって早く誰か教えてよ」というチャットモンチーの東京ハチミツオーケストラの歌詞が嫌でも浮かんでくる。
先のことなんてわからないけど、今はただ、トウキョーに夢を見ていたい。
わたしはこれからも1人、夜行バスに乗って東京に向かい、新宿駅で人に揉まれて、夕暮れ時には月島久栄のメロンパンを隅田川沿いのベンチで頬張る。そして、夜。大好きな人たちとご飯を食べて、大阪に帰るんだ。
わたしは、ディズニーランドみたいな人になりたい。誰かにとって、一緒にいるだけでぱっと明るくなるような、そんな存在でありたい。
周りの人を笑顔にするとか幸せにするとか、新年の目標として簡単に掲げる人が多いけれど、これほど難しいことは他にないと思う。それでもわたしは、無機質な街トウキョーで、誰かと一緒にキラキラ輝けるような、そんな人になりたい。
2018年は、東京で胸をはって笑うわたしになる。
それまでは、恋焦がれさせて。