8cmのピンヒール

月を見て綺麗だねと言ったけど あなたしか見えてなかった

大人になんてなりたくない

言いたいことも言えなくなるのが大人になるってことなら、大人になんてなりたくない。
いつのまにか空気を読むようになって、物分かりが良くなった。
「ちゃんとわかってるね」って言われたら、何も言えないに決まってる。

いつだって、正論ばかりが正しいわけじゃない。
結局、欲しいものを素直に欲しいと言えた人が、何でも手に入れていく。

でも、じゃあ大人になるしかなかった人たちはどうすればいいんだろう。

 

子どもじみた考え方にイライラされて、そんなんじゃどこでもやってけないよって辛く当たられた。
でも、ふたを開けてみれば、自分のもどかしい気持ちをぶつけられていただけだったり。
本当はこの人は何が欲しいのか?何を求めてるのか?と考えながら、一人ひとりと丁寧に接しようとしてる自分がばかみたいだ。

 

世の中にはどうしようもないことがある。
人は本当に辛いことがあると、感情を押し殺すことができるらしい。自分で自分を騙すことも簡単だ。
自分を騙せるようになると、辛いとか苦しいとか、自分の中にあるはずの感情に気づくことができなくなる。それが一番怖いことだ。

 

だから、向き合ってみようとするけれども。

それでも、やっぱりどうしようもないことはあるのだ。

 

口にしないことで均衡を保つ関係性がある。
何も言わなければ、見なかったことにすれば、気づいていないことにすれば、みんなが幸せでいられる。
自分さえ知らないふりをすれば、誰も泣くことはない。
一見平穏に満ちた日々を壊そうと思えるほど、わたしは大人にも子どもにもなれなかった。

 

民俗学の本を読んでいたら、人が幸福を感じる瞬間についてこのような見解が述べてあった。

私たちが幸福と感じるのは、「他人とのすばらしい関係が成立したとき」ではないでしょうか。〔中略〕人間というのは不思議なものですね。自分の行いで、身近な人や偶然会う行きずりの人がハッピィになると、心から嬉しいものです。
鳥越晧之「サザエさん」的コミュニティの法則

人がただ純粋に人を思いやって、見返りを求めず小さな心遣いをする。そんな他人同士の小さな親切が当たり前にある日常こそ一番幸せなのだという。

人と人との関係って本来そういうものなのではないだろうか。気休めでもいいからって自分に優しくしてくれる人を求めても、そこに中身なんかないのに。

 

人脈って言葉がこの世で一番嫌いだ。人との関係は脈で表すようなものじゃないと思う。

「で、それをすることで何のメリットがあるの?」

人間関係にメリットもデメリットもなくない?と言ってやりたい。そんなものも飛び越えて何かしてあげたいと思うのが、本当の友達っていうんじゃないの?

 「もっとうまくやりなよ。」ばかみたいだ。打算的な関係性なんてつくりたくない。
でも、今の日本社会では、ちゃんとうまくやれないと生きていけないらしい。そんなことを聞くたびに、泣きたくなる。

 

とはいえ、わたしだってどこか考えて行動してしまう。ここでこういう発言をしておこうとか、こういう風に見せておこうとか。就職活動っていう一種の戦場は、まさにそんな場所だった。(もちろん、すっごく大好きで信頼できる友達に出会えた場でもある。インターンは誰よりも楽しんだ。)

このような行動が一概に悪いことだと言いたいわけではない。器用に生きるということはそういうことだ。それが出来る方がずっとずっと生きていきやすい。
でも、そんな計算をする度に自分のことが嫌いになる。

 「そういうもんだよ」って言うけど。言われてしまえば、そうなのかもしれないけど。
それでも、最後に愛されるのは、ありのままの自分でぶつかっていくことのできる人だったりする。優等生じゃだめなのだ。

 

もっと、わがままになれたら。
好きなものを好きだと言えるようになれたら。
辛いことを辛いと気づくことができたら。
何か変わるだろうか。

どうしようもないことも、全て壊してしまえたら。
そんな勇気はない。 

まっすぐな関係だけ築きたいと思うのに、損得を考えてしまったり。
夢を追いたくて勉強しているのに、現実の収入や世間体を見てしまったり。
矛盾だらけだ。

 

でも、やっぱり人との関係性だけは、損得なんかで考えたくない。わたしはメリットやデメリットで言い表せるような、そんな人付き合いはしたくないのである。

一緒にご飯を食べたり、どこかに出かけたり。そんな風に、好きな友達と一緒に時間を共有して笑い合う時間が好き。この人と仲良くしていれば何かいいことがあるかも、とか、なんだよそれって思う。どうしてもそういう発想は持ちたくない。

もしかしたら、わたしも無意識のうちに誰かを傷つけるようなことをしてしまってるのかもしれないけど。この気持ちだけは、この先何があっても大切にしていきたいと思う。

 

大人になんてなりたくない。
素直に、もっとシンプルに、好きに生きてみたい。
けど、大人になるしかなくて。
そんな矛盾を、ずっとずっと抱えている。

自分の軸がぶれぶれなわたしは、まだどこに到達するかわからない。いつかこの「でも、だって、なのに、けど」を乗り越えて、この矛盾した気持ちに何か答えを出したいと思う。
今はまだ迷走しているけど、辿り着くところがわかった時、また少し何か変われる気がしている。
進む道だけは間違えないように、今のこの気持ちをここに記してみた。

大人にならなきゃいけないけど、まだ子どもでいたい。そう思えるのはいつまでなんだろう。

 

・人生の選択の時に振り返る軸を持つべき。
・チームでの立ち回りは微妙で中間的なものにしない。
1年前ぐらいに、インターンのフィードバックでチームの子が言ってくれたこと、いまだに乗り越えられていなくて、本当に突き刺さっている。
矛盾なんてなくなるぐらい、しっかりした軸を持てるように。もっともっと愚直に努力しなきゃ。

大学生のみなさん、大変なこともいろいろあるけど、お互いがんばりましょう。