8cmのピンヒール

月を見て綺麗だねと言ったけど あなたしか見えてなかった

言わなかったことに真実がある

f:id:harunrun84:20190327191706j:image

言えなかったこと、言わなかったこと。感情の余白。そういうものにこそよっぽど真実があるのかもしれないということに、気づいてしまった。

そのような、人々が言葉にしない心の隙間みたいな本音を救いあげて言葉を紡ぐことこそ、文章を書く人のやるべきことなんだろう。

でも、それはなんだか逃げることのような気がした。

感情を言語化すると、少なからず人は楽になる。たとえば、別れた彼氏への気持ちを紙に書いて破り捨てて吹っ切るという人は意外と多い。

それをしてしまえば楽なことはわかっている。どんなにしんどいことも、言語化すれば美談で終わらせられる。誰かが共感してくれて、自分の心も救われる。ただ、本当にそれでいいのだろうか。

 

複雑に絡み合ったいろいろな思いがあって、簡単には言葉で表せないような、大事な大事な気持ちを、言語化してしまうのはどこかもったいない気がした。

言えなかったことやあえて言わなかったこと、書かなかったことやあえて書けなかったことの方に、真実がある気がした。

 

だから、しばらく書くことを辞めていた。

このブログはブログというか、わたしの感情整理のために使っていることの方が多かったので、その余白を言語化しないことを意識すると、何も書けなくなってしまったのだ。

もちろん、SEO対策をして、有益なカフェ情報とか面白いネタの記事を書く方が“ブログっぽい”気がするし、世の中的にも需要はある気がする。

けどわたしがしたいことは、そういうことじゃないんだろうなあと同時に思う。

多くの人に文章を読んでもらいたいし、数字として目に見えた結果が出るのは嬉しいけど、少なくとも私が書くことにおいて追求したいのはそういう部分じゃない。

だからたぶん、webライターとかそういうものには向いてないんだろうなと、最近気づいた。ブログで広告収入とかも狙いたくないし、そういう風に自分の文章を消費したくない。じゃあ何がしたいの?って聞かれると、その辺はまだ曖昧なのだけど。

 

たとえば昨日言えなかったことはなんだろう、あの時言わなかったことはなんだろうって思い返していくと、これでよかったと思うこともあれば、後悔の念に包まれることもたくさん出てくる。狭くて深くてぬるま湯みたいな関係は、最初は心地よいけど、だんだん息苦しくなってくるのだ。

言葉にしなかったことや、逆にいえば言葉にしていた部分で、あの人はわたしの感情をどう受け取って、どう思ってくれたんだろう。それとも、何も思わなかったのだろうか。

そんなことを考えはじめると、キリがない。キリがないし意味がないけど、そんな無意味なこともぐるぐると思ってしまうのがわたしという人間である。

「それって生産性がないよね」っていう全ての人に、そんなことはわかってるよ?!って声を大にしていいたい。生産性がないって言ってるその人だって、そんな風にぐるぐると考えたことが必ずあるはずだ。ないとは言わせない。

 

そうやって、言葉にならなかった部分の気持ちを、わたしはもうしばらく大切にしていきたい。

いつかまた言葉にする時が来るから、いまはとことんこの余白に向き合ってみたい。そんなことを思った。

なぜ今その言葉を選んだのか。なぜあの言葉は選ばなかったのか。これがいつまで続くかわからないけど、もうしばらくこの段階でぐるぐるしていたいと思う。

その先でまた何かが生まれれば、その時は読んでもらえたら嬉しいです。

 

こんなことを言っておいて、明日にはさらっとおすすめのカフェブログとか書いてるかもしれないけど。

それぐらい気まぐれな方がきっとちょうどいい。ということにしておく。