8cmのピンヒール

月を見て綺麗だねと言ったけど あなたしか見えてなかった

平成最後の夏だった。#就活 #夢 #恋 #東京

こんなにも暑くなるまで、リクルートスーツを着ているとは思わなかった。
理想が高いと言われてしまえばそれまでかもしれないが、まだ続けることもできるのに、諦めたくなかった。いつかあの場所で働くために、せめてちゃんとキャリアを詰めるところで。夢を追いかけるということは、孤独で、苦しくつらいものだ。

何でもかんでも平成最後とつけるのは好きじゃない。安易に使い続けることで、言葉の価値はだんだん下がっていく。初めて平成最後の○○と聞いたときは、結構エモい気持ちにもなったのに、今なんとも思わないのは、それほど世の中にこの言葉が溢れてしまったということだろう。言葉は大量に消費されることで、時に価値を失う。

それでもやっぱり、“平成最後の夏”だけは、わたしにとって強く濃く心に残り続けている。
全てに絶望して、どこまでも一人で、当時好きだった人には怒られてばかりで、東京は怖い街だと思った。

息をするように嘘を吐く大人にたくさん出会って、社会人のことが誰も信じられなくなった。「そういうもんだよ」って言われても受け入れらんないし。てかそもそも、この微妙に膜を張ったような人間関係の築き方はなんなの?そんなことをひたすら思っていたら、どうすればいいかわからなくなった。

追いつめられて迷走しても、そこから得られるものは何もない。
話せることがないからって自分を偽ったところで、良いことはない。
本当にそのままの自分で、いつも通り話せばいい。
就活を終えた今だからこそ、あの頃の自分にはこういうことを言いたくなる。

 

とにかく、広告の仕事がしたい。
いつのまにか、そんな風に思うようになっていた。

それじゃだめだってわかっていたはずなのに。

何を言えば通りやすいかとか、どう見せることが大事かとか、何がこの会社の人にウケがいいかとか、そんなことをしたってミスマッチが起こるだけだって頭では理解していた。それでも、追いつめられると人はどこかおかしくなるらしい。いつのまにか相手に合わせることばかり考えるようになった。

 

だから、わたしはあんなことを口走ってしまったんだと思う。

某広告代理店の最終面接。
「やりたいことはなんですか?」
そう聞いてきた面接官に向かって、私は堂々と「まだ決まっていない」と言った。

やりたいことがあるからその会社を受けて、広告業界ばかり受けていたのに。
コピーライターになりたくて、広告が作りたくて、いろんな人に会いに行って、東京という慣れない土地を永遠に走り回っていたのに。

大迷走して、わからなくなって、手元にある内定先に絶望して、就活を続けて、季節も過ぎた。初めて来たのは寒い雪の日だったはずなのに、いつのまにかじめじめとした暑い夏になっていた。

そんな調子で面接を受けたところで何もうまくいかなくて、当時好きだった人には怒られてばかりで、ただただ泣きたかった。泣くことすらもできなかった。

それでも、どこまでも続く孤独と永遠に戦って、必死で夢を追いかけた。
結局のところ、わたしの気持ちはわたしにしかわからない。

迷走に迷走を重ねたのち、本当にこの会社にちゃんと就職しようって決めることができたのは、卒業直前、大学4年もあと2ヶ月で終わる1月だった。ゼミの先生にも相談していたし、20卒のインターンにだって行った。それぐらい、本気で迷っていた。

 

4月。
東京に引っ越してきた。あれほど夢見てた生活が現実となった。
途端に、大阪に帰りたくなった。 寂しさが押し寄せてきた。

わたしに広告のイロハを教えてくれた人とは連絡が取れなくなった。
でも、「営業より制作向きだと思う。制作会社受けないの?」って言ってくれたあの人の言葉は、たぶんものすごく的を得てた。制作会社は受けなかったけど、今の会社で、わたしは売る人じゃなくて作る人になった。営業職だと思い込んでたからちょっとびっくりしたけど、好きなことが仕事になる幸せを毎日噛みしめている。結局のところ、今の仕事が好きだから、やっぱり大阪には帰りたくない。

消費財とか、化粧品、映画の広告が作りたいって思うのは、きっと全てあの人の影響だ。
わたしもあの人の中に、少しでも何か残せただろうか。
もうわたしのことなんて忘れてるんだろうけど、わたしはきっと忘れることはないんだろうな、なんて思ったりした。 

消費財メーカーのコピーライターの先輩と話したとき、
「諦めなければ、何かしらの形で絶対夢は叶うよ。努力は報われるよ。」
と言ってくださったのを、今でも覚えている。

その先輩は、ある広告代理店にどうしても入りたくて、飛び込みで何十枚も自分の名刺を配って、OB訪問をしていたらしい。それほどの熱意があっても、やはり広告代理店の壁は高く、入れなかったそうだ。

とある会社に一目惚れして、広告の世界を追いかけ続けて、最終落ちを繰り返したわたしにとって、自分と境遇の似ている就活生だった先輩の言葉は、すごく心に響いた。

うまくいかなくて、心が折れそうになることもあったけど、努力は必ずしも報われるわけじゃないってわかってたけど、それでも、頑張ってよかったって思える今があって幸せ。やりたい仕事につけたこと、会社の人がみんな大好きなこと、あまりにも恵まれすぎている。

 

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ルミネの2019年春広告。「わたしの夢を奪うわたしになるな」
わたしは、ちゃんと自分の望む自分に近づけているかな。
自分の嫌なところはたくさんあるけど、それも全部受け入れて、ありのままの自分をちゃんと大事にしたい。最近は、そう思うようになった。

自分には無理そうとか、できなさそうとか、そんな風に諦めるようなわたしではいたくない。わたしはわたしの夢を、自分の力できちんと手に入れたいのだ。

 

就活と夢と恋と、東京。
すべてを全力で追いかけた。平成最後の夏だった。

 

令和は、東京でちゃんと笑えるわたしになりました。
千代田線にはもう乗らない。元気ですか?って言いたいけど、言わないでおくね。
いつかまたあの人に会えたら、すっかり広告の人になったねって言われたい。
強くなったねって、認めてもらいたいと思う。

明日も仕事です。
Googleマップに頼らなくても、一人で歩けるようになってきたから。
1年前の今頃、泣きながらESを書いて怒られてたこと、きっと忘れない。
お箸の持ち方さえ間違えてたわたしに、正しいことを教えてくれてありがとう。

 

令和最初の春。
ひたむきに、まっすぐに、努力しようと思います。