8cmのピンヒール

月を見て綺麗だねと言ったけど あなたしか見えてなかった

東京は怖い街?

高田馬場で降りると、前髪をセンターパートにした大学生がうじゃうじゃと歩いていて、あぁこれが最近の流行りなのか、と知る。

ついこの前のことだと思っていたのに、いつしか学生だったのも遥か昔のように感じることが増えた。

 

「あまり人に期待しない方がいいよ」

 

わたしにそうアドバイスをした先輩は、今もそんなことを思いながら生きているのだろうか。特に連絡も取っていないけど、あの時の先輩はたしか2年目だったな、と思って、ああ、もうわたしもあの人と同じ年次になったのか、と気づかされる。

 

大人になってからの人間関係は、打算的なものばかりだとよく聞いていた。だから社会人になる前にたくさん友達を作っておけとも言われた。わたしもいつかそうやって損得を考える人間関係の作り方をするようになるのかなって思ってた。けど今のところ、その気配はない。

 

それがわたしにとって得することなのか、損することなのかはわからないけど、仕事でもプライベートでも、好きな人には好きだと言うし、楽しければ楽しいと言うし、ポジティブな感情はいつでも何でもど直球に主張する。嘘がつけないから本気で思ってることしか言えないし、たぶん営業は向いてない。

 

それでも、わたしも変わった。大人になんかなりたくないとずっとずっと思っていたけれど、もうすっかり大人になってしまった。

かつてのわたしは大人になってもっともっと強くなって、東京で胸を張って生きていけるようになりたいと言っていたけど、果たしてそれが幸せか? と言われると、「うん」とは言えないわたしが既にいる。

 

自分を犠牲にすることにも、他人に期待しないことにも、失うことにも慣れてくる社会人2年目。

とはいえ、毎日楽しくないわけじゃない。仕事は好きだし、同期や先輩や上司も好きだし、友達も好きだし、嫌いな人なんていない。生きていて嫌なことなんてない。ただ少し、虚しいだけだ。

 

これでいいのか? と思うことが多い。働いて、働いて、その先に何があるのか? 目の前の仕事をどんなに丁寧にやったとしても、健康を保とうとすることを許されなければ、結局自分のすべてを犠牲にするだけじゃない? って。

 

ふとLINEを開くと、学生時代に友達だと思っていた人から転職エージェントの紹介やネットワークビジネスの勧誘が飛んできていた。街を歩いていれば「この近くにおすすめのカフェありません?」と貼りついたような笑顔の男女カップルに声をかけられ、スーツを着たビジネスマンに「将来のこと、考えてますか?」と言われる。わたし、そんな騙されやすそうに見える?

 

そういった営業をかけられると気持ちがすっと冷めていくのを感じる。特に昔からの知り合いだと、もうこの人とは連絡がとれないな、と思ってしまう。その瞬間が一番悲しい。仕事をしていくうえで営業活動っていうものはどうしても必要だけど、一見優しく、友達としてのコミュニケーションっぽく振る舞って利益を得ようとするパフォーマンスが好きになれない。

 

だからこそ、人に優しくすることだけが優しさじゃないと知った。ちゃんと喧嘩できたり、思ってることを言えたり、逆に言わなくていいことは言わなかったり。これを言ったらどう思われるかとかどううまく操るかとかそういうことに囚われて、自分のことばかり考えるのではなく、相手を思いやって発言や行動を選んでこそ健全な関係を築けるのだ。きっと。

 

もうこの人になら騙されてもいいや。最終的には、そう思えるぐらい大事に思える人だけを大切にできていれば、それだけでいいような気もする。そこまで強い気持ちで信頼したいと思って騙されたとすればもう、それはそれで正しいのかもしれない。信じることは自由だし、信じてもらうことも自由。誰のことも信じなくていいけど、信じたいと思える人のことは信じたい。

 

東京は怖い街? と問われると、わたしは何と答えたらいいんだろう。怖いような、怖くないような。どちらともいえると思う。どちらでもあると思う。ただ、東京にはいろんな人がいて、わたしもそのなかのひとり。それだけだ。

 

「あまり人に期待しない方がいいよ」

 

あの時言われた言葉が響く。今となってはすっかり共感できてしまうけど、やっぱり、そんなの寂しいとも思う。22歳のわたしが、大人になろうとするわたしを止める。平日は接待に追われ、休日もキーボードを叩いて企画書を作っていたあの人。理不尽なことばかりで疲れていたんだろうな。気づけなかった。気づかなかった。当たり前だ。学生だったから。わかっていても、もっと気持ちに寄り添うことができたらと、未だに思うことがある。

 

何が正しいとか、何が間違っているとか、そういうものはきっとない。全部が正しかったし、全部が間違っていなかった。あの時のわたしはそういう態度しかとれなかったし、社会人になった今のわたしにはわかることが増えた。でも、もう少し何かできることがあったんじゃないかと、そう思ってしまう。子どもは大人に憧れ、大人は子どもに憧れる。わたしにとって、東京で社会人をしている先輩はキラキラして見えた。でも、先輩からすれば学生のわたしが眩しかっただろう。

 

こういうことを積み重ねることで自分の糧になるとか、よい経験になるとか、そんなあざやかな言葉は使いたくないし、形容することで自分の人生を美化したいとも思わない。エモい表現ならいくらでも使えるけど、そういうのも飽きてしまった。

 

わたしはわたしでしかない。わたし自身をつくるのは、これまで自分が選択してきたものと、これから新たに選択していくものだけだ。

 

ずっと明るくしている必要はないけど、自ら暗くする必要もない。大好きな人やものやこと、それらをとりまく空間を愛して、それだけを大切に生きていけばいい。そうすれば、どこで生きようと何をしていようと、怖いものなんて何もないはずだ。

 

東京は怖い街?

 

ありがちだけど、それは自分次第なのかもしれない。物事をどう捉えるか、どう考えるか、そこからどのように生きるのかを決めるのは、結局わたしだから。

 

わたしはわたしの好きなように、もう少し生きてみようと思う。信じたいものを信じて、大切にしたいものを大切にして、ただ、まっすぐに。