8cmのピンヒール

月を見て綺麗だねと言ったけど あなたしか見えてなかった

できることなら、何も書きたくない

そりゃわたしだって、できることなら書きたくない。

 

そんなことを思いながら、今日もキーボードを叩いている。とんだ矛盾だ。
だって、誰がさらけ出したいと思う?
過去の恋愛のこととか、趣味のこととか、日々心に抱えているモヤモヤした気持ちとか。そんなの、できることならどこにも公開したくない。誰にも見せたくない。

 

でも、気づいたら書いているのだ。
人に話せないような、話したくないような、生涯誰にも言わないでおこうと決めていたことまで、いつのまにか文章になっている。
本当におかしな話だ。

 

「自分の人生をコンテンツ化して、仕事にしよう!」

 

昨今では、そういうことがかなりいろいろなところで言われているけど、それってつまり身売りだからね? どれだけ身を削る思いで、日々文章を書いていることか。じゃあやめればいいのにって? やめられないから書いてるんだよ!!!

 

わたしにとって、書くことはもはや「衣食住」と同じだ。
着ること、食べること、住むこと。
これが人間の生活に必要な基本の三要素。


わたしの場合はこれが、「衣食住書」となる。イショクジュウショとでも読めばいいだろう。
着ること、食べること、住むこと、書くこと。
この四要素があって、わたしは初めて生活することができる。

 

日々どんなに疲れていても、落ち込んでいても、イライラしていても、わたしたちは「衣食住」をやめられない。朝起きてご飯を食べて服を着る。その生活の拠点である家に住む。これをしないと、物理的にわたしたちは生きていけない。住むところがないと寝られないし、ご飯を食べないと栄養失調になるし、服を着ないと社会的にヤバイ人になる。

 

これに加えてわたしは、いつだって書くことをやめられない。どんなに些細なことでも、自分のなかから湧き出てくる感情があれば、それを文章に落としこみたくなるのだ。仕事が終わらなくて終電で帰ってきても、観たいテレビ番組があっても、「書かなきゃ」と思ったら気づけば書いている。やめられないのである。「書くこと」が日常のなかにない状態で、どうやって生活すればいいかわからない。

 

ほんと、とんでもない体質に生まれてしまった。これじゃどこまでも苦しいばかりだ。書いて、書いて、書いて。記事を上げて。毎日自分のことをネタにして。見せたくないのに、見られたくないのに。なにこれ、ほんまにあほなん?

 

日々そうやって、「いややー」「なんでー」「なんで書いちゃうんー」と思いながら文章を書き続けているわたし。本当にばかである。

 

でも、やめられないのは確実に、「楽しいから」そんな単純な理由もある。
わたしは書くことが好きなのだ。どんなにちょっとした日々の出来事でも、自分の感情と結び付けて文章にすることで、日常を彩っている。

 

日常のなかでの「書く」という行為を、わたしは心から面白いと思っている。どんな表現を使って何をどのように書くか、考えるのが楽しくて楽しくて仕方ない。
それは、生活において必須な「衣食住」をわたしたちが大いに楽しんでいるのと同じだ。好きなブランドで服を買ってコーディネートしたり、新しいレシピを考えてほかにはない美味しい料理を作ってみたり。居心地のよい家に住むために、インテリアを工夫したりDIYに挑戦してみたり。それと何一つ変わらない。
わたしにとって「書くこと」は、生活において避けられないものであり、娯楽のひとつでもあるのだ。

 

昨今の事情で外出自粛がうたわれるようになって、最初に思ったことは「これでたくさん書ける」ということだった。本当にどうかしている。

書きたくないのに、書くことをやめられないなんて。


クリエイターとか全然なりたいと思ってないけど、気づいたら書いて身を売っている。もはや身売りの天才なんじゃないかと思ってきた。身を削って、削って、削りに削っても、それでもなお、書かないと生きていけない。活字中毒? それとも少し違う気がする。こういう体質のこと、なんていったらいいんだろう? 書くことは麻薬。とりあえずそんな感じで言ってみる?

 

こんなことを言いながらキーボードを叩き続けているわたしは、やっぱり何かおかしいんだろうけど、それでもきっと今日も明日も明後日も書き続けるんだろう。日常のなかの出来事をネタにして、身を削り続けてしまうんだろう。ばかだとでも、あほだとでも、何でも言ってくれ。わたしだって本当は身を売りたくない。

 

きっとこういう風に「どうしてもやめられないこと」が本当は心からやりたいことで、大好きなことなんだと思う。やりたいことがわからない、という人は多いけど、「やめたくてもやめられない」これがすべての答えな気がするのだ。

 

あーばかだなー、と本当に本当に心から思っている。心の底から思っている。それでもやはりわたしは、この文章を書き終えたあと、「公開する」のボタンを押してしまうんだと思う。それはもうきっと、そういうことだ。よけいなことを考えなくても、そこにすべてが集約されている。それに尽きる。

 

そりゃわたしだって、できることなら書きたくない。
本当に本当に、書きたくないのだ。