8cmのピンヒール

月を見て綺麗だねと言ったけど あなたしか見えてなかった

サンタクロースは私になった

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幼い頃、サンタさんに手紙を書いたことはきっと誰にだってある。わたしもそのひとりだった。具体的に何が欲しいと書いていたかはあまり覚えていないけど、「欲しい!」と書いたものは必ずもらえたし、「欲しい!」と書いていないものもたくさんもらえた。

 

わたしの家のサンタさんは、家族でクリスマスパーティをしているときに、ベランダに来る方式だった。

 

「はるか、そろそろ来てるかもよ」

 

そうお母さんに言われたのを合図に、わくわくしながらベランダに向かうといつも大きな大きなプレゼントの箱が置いてあるのだ。ひとりっこだからめちゃくちゃ甘やかされていた。

 

なかでも一番忘れられなかったサンタさんからのプレゼントは、幼稚園の年長さんの頃もらった、プーさんの大きなプレゼントボックス。そのなかには、人生ゲームとかカルタとか、家族で遊べるおもちゃがたくさん入っていて、本とぬいぐるみが好きだったからたぶん本とぬいぐるみも入っていた。

 

わがままで、目立ちたがりで、欲しいと思ったものは全部手に入れたくて、世界の中心は自分だと思っていたあの頃。

 

それでものびのびと生きられたのは、家族がたくさんのプレゼントとたくさんの愛をめいっぱい与えてくれたからだと思っている。

 

気づけば、わたしも24歳。

 

ひとりで暮らす日々が当たり前になって、生活を管理するのも全部自分の責任になった。サンタさんに手紙を書いてもきっと誰も読んでくれないし、プレゼントは届かないだろう。

 

でも、不思議とさみしくはなくて。むしろ「貰いたい」より「与えたい」と思うことの方が多くなった。

 

わがままで、目立ちたがりで、欲しいと思ったものは全部手に入れたい。もう世界の中心が自分だとは思っていないけど、そんな自分が心の奥底ではまだ生きている。謙虚だねって言われたり、もっと自分に自信を持ちなよ!って言われたりすることがずいぶん多くなったけど、本当はいつも一番がいいし、いつも真ん中にいたい。

 

そんなマイペースなわたしのことも、大切に思ってくれたり、好きだと思ってくれたりする人がありがたいことにこの世界にはきちんといて、定期的に連絡をくれる。わたしは、それがうれしくて。

 

「クリスマスのかわいいクッキー缶が売ってたから送っておいたよ」

 

今日、お母さんにそう電話した。

この間ディズニーランドで買ってくれたおみやげもたくさんあるのに、買わなくていいよ!とお母さんは言ったけど、もう買ってしまったし、送ってしまっている。

絶対にお母さんが好きなかわいいクッキー缶だったから、見てほしいし食べてほしい。そう思って、買った。

 

かわいいなと思ったものや、欲しいなと思ったもの、以前は自分のためだけにたくさん買っていた。旅行に行っても、自分が使うためのお土産がほとんどだった。でも、今はほとんど誰かにあげるものしか買わない。

 

カナダに留学していた時、仲良くなった大学生の先輩が「自分にはお土産買わないよ。おれは思い出をたくさん持ってるから、ものはいらないかなって。だから友達にあげるものとか、家族にあげるものとかばっかり買っちゃう」って言ってたのがすごく印象に残っているんだけど、いつのまにかわたしもそうなっていた。その人の影響もあるのかな? と思うけど。

 

プレゼントをたくさんくれていたサンタクロース。今となってはわたしが、あの頃もらった愛に溢れたプレゼントをいろんな人たちに返しているような気持ちになっている。時を経て、サンタクロースは私になったのだ。

 

欲しいと言っていたものやその人が好みそうなものを選んで、あげて、喜んでくれたときがいちばんうれしいから。いま、わたしの欲しいものはものじゃなくて、好きな人が喜んでくれたときの笑顔や言葉だったりする。きれいごとみたいにきこえるかもしれないけど、本気でそう思っている。

結局わたしは、わがままで、目立ちたがりで、欲しいものは全部手に入れたいのだ。欲しいものが"もの"じゃなくなっただけだ。

 

サンタさんが子どもたちに贈り物を届けているのは何でなんだろう? って思っていたけど、もしかしたらサンタさんも、「ありがとう」の言葉とか、笑顔とか、そういうものが欲しかったのかもしれないな。人がもらって嬉しいものは"もの"だけじゃないから。本当に嬉しいのは、ものじゃなくて、その奥にある気持ちとか言葉だから。

 

なんだか、サンタクロースの気持ちが分かった気がした。

今年のクリスマスも、温かい気持ちで過ごせる気がする。今日、実家にクッキー缶を送ってよかったな。そう思った夜だった。