8cmのピンヒール

月を見て綺麗だねと言ったけど あなたしか見えてなかった

幸せになりたいという究極論

毎日楽しく仕事をして、美味しいご飯を食べて、好きな人と過ごす。休みの日は映画を見て、お気に入りのカフェでコーヒーを飲んで、夜には音楽を聴きにライブに行く。そんな日々がずっと続けばいい。

 

働くことは、幸せなことか?と聞かれると、なかなか「はい」と明言できないわたしがいる。どんなに大好きな仕事でも、仕事仕事仕事、仕事仕事って詰め込みすぎると、身体は勝手に壊れていくことを知った。

残業時間が増えるたびに、パソコンの画面を見ているだけで勝手に涙が出るようになった。頭痛がとれなくて、本当にしんでしまうんじゃないかって不安になることもあった。それでも、わたしがやらなければ、別の誰かが苦しむことになる、と思うと、わたしにできることは全てやろうと思った。

 

とはいえ、そんな生活はずっとは続けられない。毎日毎日原因不明の蕁麻疹がとまらなかったけど、少し早く帰る生活を2週間続けたら出なくなった。11月から止まらなかった心臓の動機が、やっと治まった。

わたしが弱すぎるだけだから、もっと強くならなきゃいけない、と思う反面、具体的に何をしていくかということまで、まだ頭が回らないわたしがいる。

 

一分一秒でも早く帰りたいから、目の前の仕事をすぐにでも終わらせたくて、ただでさえ人見知りで話せないのに、よけいに周りと話さなくなった。

本当はもっと好き勝手に話したいのに、いまだに自分を出すことができない。わたしは自分で思っていたよりも関西人だった。標準語を話している自分は自分じゃないみたいで気持ち悪いし、日常のちょっとした瞬間に笑いを求めてしまう。でもそんな自分は、東京に来てから微塵も出していない。

 

幸せってなんなんだろうって思う。「何かを選ぶということは、何かを捨てるってことだからね」って言われて、余計にわからなくなった。

それはもしかしたら当たり前のことなのかもしれない。でもわたしは、仕事も恋愛も友達も趣味も全部欲しい。そう思ってしまうのは、わたしがまだ人生の厳しさとかそういうものを、本気で知らないからだろうか。

 

わたしは「仕事に人生を懸ける」って言い切ることはできない。いつか結婚もしたいし、子どもも欲しい。だけど、好きな仕事もしていたい。こんなことを思っていたら、甘く見るなよって、言われてしまうだろうか。

正解はわからないし、もはや正解なんてどこにもないんだと思う。大切にするものの基準は人それぞれで、なにが正しいとか間違ってるとか、そういう答えを出すことはできない。

わたしは、今はただ、幸せになりたい、と思う。わたしの幸せは何なのか、自分でもまだ模索中だけど、好きなことだけをして、好きなものだけに触れて、好きな人だけに囲まれて、健康的な生活をして生きていきたい。

 

その過程でどんなものが必要なのか、今なにをすべきなのかは、あとで考えることにしよう。まずは、幸せになりたいという究極論。これを掲げて、なにを選択すれば自分か幸せになれるかを考えて生きていこうと思う。

 

それはきっと自己防衛でもあり、身体的にも精神的にも、健康に生活するための術でもある気がする。

 

答えのない答えを探してわたしは今日も、まだ慣れない東京の街で、生きていく。