8cmのピンヒール

月を見て綺麗だねと言ったけど あなたしか見えてなかった

消費するように日々を生きている

コンビニ食だけじゃ健康になれないってわかってるけど、今日もセブンイレブンでサラダを買った。寮生活で共同キッチン、仕事は比較的ハード。自炊する余裕なんてないって言い訳を繰り返して気づけば1年。


部屋でNetflixを見てだらだらと過ごす。そんなありきたりな日常。ちょっとしたことにストレスをかけたくなくて、快適ばかりを取っているから出費もかさむ。いつのまにかHuluとFODにも月額費を支払っていた。


最近見た映画で、主人公の女性・ホリーが自暴自棄になり、乗っていたタクシーを止めて猫を捨てるというシーンがあった。外は雨が降っていた。その様子をみてあきれかえった連れの男性・ポールは、こう言って出て行った。

 

「君は愛さえも認めない。人のものになりあうことだけが幸福への道だ。自分だけは自由の気でいても生きるのが恐ろしいのだ。自分で作った檻の中にいるのだ。その檻はテキサスでも南米でもついて回る。自分からは逃げられないからだ。」


誰かに囚われたくないから逃げて逃げて逃げて、可愛がっていた猫にすら名前をつけず「cat」と呼んでいたホリー。

自分に自信はたっぷりあるくせに、いつも何かに怯えながら、「男はみんなネズミ」と言って親しくしていたポールすらも突き放す。


結局彼女は思い立ったようにタクシーから降りて、必死で猫を探し、ポールの愛をも受け止めることを決意するのだけれども、その後どうなったのかは誰にもわからない。


これはかの有名な「ティファニーで朝食を」という映画のラストシーンだ。


見終わったあと、しばらく人と人との関係のこととか、自分とか自由って何なのかとか、そういうことを考えた。


ひとまずどこかに何かを書き留めたくてFilmarksに会員登録をし、レビューを書いた。

わたしは素晴らしい映画だと思ったけど、評価はそこまですごく高いというわけでもなく、賛否両論あった。


特にポールの「人のものになりあうことだけが幸福への道」という台詞には否定的な声も多いように見受けられた。

たしかにこの台詞が正しいとは一概には言えないけど、わたしはすごく納得している。


ただ消費しているだけの毎日が続くのは、人と密に関係することが圧倒的に減ったからだと思う。


好きなものを買って、好きなものを食べて、好きなようにお金を使って、好きな時間を過ごして生きる。これがわたしの生活。まさに何にも縛られていない自由な生活だ。


しかし、たとえ自由でも、決して毎日がキラキラしているとは言えない。あーー生きててよかった!幸福だ!って思える瞬間は、一人で暮らし始めてからむしろ少なくなった気がしている。


趣味は多い方だと思うし、仕事も楽しくないわけじゃないけど、家族も恋人もそばにいない日々は、ただ淡々と流れて行くだけだ。


生活の一部を誰かと共有していると、自分の存在価値を無意識のうちに見出すことができる。お互いの状況を見て、掃除や洗濯、料理や洗い物を役割分担すれば、暮らしていくなかで必ず人に必要とされる瞬間があるからだ。


一人暮らしだと、誰にも何も求められない。好きな時間に好きなことができるのは楽だけど、自分がいなくなっても誰にも支障が及ばないと思うと、生きることを頑張らなくなる。1日3食きっちり食べなくても、睡眠時間を短くしても、特には問題ない。仕事に支障をきたさなければ、誰も迷惑しない。わたしはこれをとても虚しく感じる。


少しばかりの拘束は自分の存在価値を認める要素のひとつになるのかもしれないって、最低限の家事をこなして淡々と過ごしていくなかで思うようになった。もちろん人によりけりだとは思うけど、わたしの場合、誰かと暮らしていく方がよっぽど幸福で健康的だ。


人に依存したり、人を強く求めたりすることが怖くて、かつては逃げてばかりだったわたし。ホリーを見ていると、性格は正反対なのに、どうしても憎めなくて、自分に似ていると思うところもあった。

 

ホリーがそうしたように、わたしもそろそろ消費するだけの日々とコンビニ食から抜け出したいけど、きっと明日も、セブンイレブンでサラダを買って帰るんだろう。今日はシーザーサラダだから、明日はツナコーンとごまドレッシング。


ホリーは、何が怖いのかわからないけど突然何かがこわくなったとき、タクシーに飛び乗ってティファニーのショーウィンドウを見にいくという。ティファニーには不幸なんてないから。このときの気分を彼女はレッドな気分と呼んでいた。


わたしにとってのティファニーは、今のところNetflixで観る映画かもしれない。映画のことを考えていれば、自分の現実を見なくてもよくなるから。レッドな気分のことなんて忘れられる。


大好きなサービスだけど、Netflixに課金しなくても生きていけるような、生活のなかで誰かを思えるような、そんな生き方がしたいなと、何となく思った。