ルミネの広告が好きで好きで仕方ない話
ルミネの広告に心を掴まれている女性はたくさんいると思うが、私もその一人だ。ルミネの広告がすきですきですきですきで、特に最近はすきが大爆発しすぎて、毎日ルミネの広告のことを考えている。
そもそもルミネって関西にないんだけど、わたしはいつルミネの広告に出会ったんだろう。
最近は東京によく行くようになって、やっとルミネというファッションビルを認識し始めた。最初ルミネを見た時は、「あの広告のビルだー!!」って感動して見事に中に入って服を買った。
地元にルミネがなくてもこんな風にどこかで見た広告に心を掴まれて、入店して商品を買うところまで行動しちゃってると思うと、広告ってやっぱりすごい。
ルミネの広告で特に好きなコピーが1つある。
「一目惚れして欲しい。会うたびに何度でも。」
(http://magazine.lumine.ne.jp/)
レインボーブリッジを、都心に向かって走る。
右手にそびえるスカイツリー。
左手には観覧車のネオン。
忙しそうに働くワイパーの先には、
東京タワーと高層マンション。
むせぶような霧の中。
無数の灯りが揺れるような光を放つ。
梅雨に澄んだこの町に、
わたしは何度でも見とれてしまう。
見慣れたはずの景色の中に、
まだ見ぬ表情は潜んでいる。
下の文章は、2012年6月1日付けの新聞広告のみに記載されたボディコピー。
鮮明な画像が見つからなかったので書いた。
私は正直、この広告のどういうところが好きかを言葉にしてしまうのは、もったいないと思っている。それぐらい、この広告に込められた力ってすごい。
まずこのコピーを読んだ時、私がすぐに思い浮かべたのは、好きな人に会っている時の自分だった。
好きな人にはずっと好きでいてほしい。飽きられたくない。
今もちゃんと好きでいてくれてるのかなって、定期的に不安になる。
女性なら誰もが持っている感情だと思う。
だから、みんな“自分磨き”をする。
おしゃれな服を買い、スキンケアをして、ダイエットをする。
見慣れたはずの景色の中に、
まだ見ぬ表情は潜んでいる。
っていうように、外見を磨くことで、
好きな人に何度も好きになってもらえるような
新しい自分が顔を出すとみんな知っている。
この行動をとる時の女性の心理を一言でまとめたのが、
「一目惚れして欲しい。会うたびに何度でも。」というコピーだと思う。
まさにこの行動の中に服を買う行為が含まれているから、無意識のうちに購買意欲に繫がる。
服という言葉を使わずとも、普段女性が言葉に出来ない思いや悩みを言語化することで、女性に共感や気づきを与え、心を捉えて行動させてしまうこのコピーって本当にすごい。
ここに女性の心を支持してる蜷川さんの写真が入ってきて、もうドンピシャに掴んでくる。
色鮮やかで、はっきりとしていて、強い意志や想いが感じられる蜷川さんの写真が、私はとても好きだ。
コピーを書いた尾形さんは、ルミネの広告についてこう話している。
尾形:今のシリーズを言葉にするならば、「刺激」と「励まし」です。想定するターゲットは、自分のセンスに確固たる自信のある人というよりは、少し迷いながら、自分に似合う物、好きになれる物を探している人。そんな人たちに蜷川さんの写真で刺激を与え、それに反応している自分の心は間違っていないという励ましを言葉で伝えていく。その2つをセットにして表現しています。刺激だけでも励ましだけでもない、その両方があるのがルミネらしさだと思っています。
-広告朝日 クリエーターインタビュー(https://adv.asahi.com/creator/11053053.html)
もう、ドンピシャだ。
私は自分に自信がない。
好きなことはあるけど、それが自分に本当に向いている事なのか、出来ることなのかと思うと、答えを迷ってしまう。
それでも、やっぱり自分の好きなものを好きだ!って胸を張って言えるようになりたいし、これがわたしに合っていることだって、確信を持てるようになりたい。
常日頃こんなことを考えている私は、ドンピシャにルミネの広告のターゲットなのではないだろうか。というか、そうだと思う。
それに、どんなに強く生きていても、誰にだって必ず弱い部分はあるから、私と同じようなことを思っている女性はたくさんいるんだと思う。だからこそ、この広告は多くの女性に支持されるのだ、きっと。
私は、広告の影響でルミネを見るとワクワクするし、立ち寄ってしまう。
それに、この広告は、“駅ビルからファッションビルに生まれ変わりたい”っていうルミネの課題解決の面だけじゃなくて、これを見たひと一人ひとりにそれぞれ思うことがあることで、誰かの心を少し軽くしたり、救ったりしている。
この広告というか、そもそも広告全般にそういう力があるとは思っているけど、それってやっぱりすごいことだ。
同じルミネの広告だと、わたしは特にこの広告に救われたなと思っている。
「誰かのためは苦しかった。自分のためは淋しかった。それでもおしゃれしたいのはなんでだ。」
(http://magazine.lumine.ne.jp/)
散るまでのわずか1週間。
満開の花を咲かせるために、
桜は一年をじっと生きている。
そんな勝手なことをいう人がいる。
桜はいつも桜なのだ。
緑の葉しげる夏も、枝に雪のせる冬も。
花は春服。
桜にとってはそれだけのこと。
東京にはこんなにも桜があったのだ。
淡紅の春を見るたび、わたしは驚く。
誰のためにそんなにも美しくなれるのか。
その答えは、桜だけが知っている。
人がおしゃれをする時は、きっと誰かのことを考えている。それは自分かもしれないし、友達かもしれないし、恋人かもしれない。どういう場面で、どういう風にこの服を着ようか、考えながら選んでいる。
でも、たとえば片想いの相手のために服を選ぶのは苦しい。その人に会う一瞬のためだけに、その人に一瞬でも可愛いと思われたくて。見てもらえなかったら?気づいてもらえなかったら?そう考えている時間はとても苦しい。
だからといって、自分のためだけに服を選ぶのも淋しい。ひとりだって感じてしまって、孤独になるから。
それでも、おしゃれしたいと思ってしまうもどかしさを感じたりして。
だけど、桜は違う。
誰のためでもなくひとり美しく咲いている。もしかしたら、桜にも想う人がいるのかもしれないけれど。彼女はそれを語らない。
それを見て、あんな風に美しくありたいと思ったりして。
女性って基本的に気持ちに矛盾を抱えているものだと思うのだけど、このコピーはその矛盾っていう一番言語化しにくい部分が言葉にされているとおもうし、それを桜と組み合わせているのが素晴らしいと思う。
注目されるのは春だけでも、一年中、いや、もっとずっと何年も、いつだって自分らしく、ひとりで太くまっすぐ美しく立っている桜は、女性の在りたい姿の象徴なのかもしれない。
わたしはまさにこんな矛盾を抱えて毎日を生きていた。好きな人のために頑張ろうと思うと苦しいことばっかりだし、かといって一人で立ってしっかり歩いて行こうと思うと寂しいし、それでもかっこいい大人になりたくて、なんでだろう、とか思ったりして。だけどわざわざこの気持ちやもどかしさを言語化することはなかった。
だからこそ、この広告を見た時、共感が生まれたし、こんな気持ちを抱えているのは自分だけじゃないんだって気づいて、心が救われた。
本来の目的じゃなくとも、こういう力もあるのが、広告のすごいところだし、私が広告を好きな理由の一つだ。
わたしは、ルミネの広告を通じて、自分のこういう気持ちは間違ってないんだなとか、こういう風に想っていいんだなって、元気を与えられた気がしている。
たったひとつの言葉で、嬉しかったり、切なかったりした気持ちや、その時の情景を思い出すことが出来て、一人ひとりの中で物語が作られていく。
誰かの日常の中に、1つの広告がそういう瞬間を生み出しているって、本当にすごい。
まだまだ好きな広告がたくさんあるけど、今回はここらへんで終わりにしようと思う。
関西の人はルミネなんてビル知らないだろうし、広告が目に入る機会も少ないと思うけど、とりあえず1回検索してみて。
女の子は絶対に心を掴まれます。
こんな風に人の心を掴む言葉が書けるようになりたいなーと思うはるぴーでした。
追記(2018/06/09):
ルミネの2018年夏広告が素敵すぎて、感動したので追記。
モデルは八木莉可子さん。
2018年のルミネ広告は、今を生きる女性像をデザインしているそうだ。
(http://magazine.lumine.ne.jp/)
「好きしかない恋なんて。」
なんとなくわかるようで、わからないような、ちょっと考えさせられるコピー。この解釈はきっと本当に人それぞれ違って、これを見た一人ひとりの中で何か物語が紡がれるんだろうなって、すっごく思った。
ルミネ公式サイトでは、ルミネの広告をもとに書き下ろされた、尾形真理子さんによる短編小説も公開されている。
わたしはこの中ですごくすきな一節がある。特にその中で一番響いた一文がこれだ。
幸せって自己責任なのだ。
ただ、ただその通りだと思った。
わたしの中にも、この広告のコピーや、この一文から紡がれた物語がちゃんとある。それは手放したくなくて、今はここにも書きたくないような、温かくて切ない、そういうもの。
その先には、この物語が大切だからこそ、自分を変えたいって思いがあって、やっぱり服を買うことに繋がったりする。
世の中にはたくさんの広告やコピーがあるけど、わたしは本当にルミネの広告がいちばんすきだって、改めて思った。これからもルミネの広告や、尾形真理子さんが紡ぐ言葉をずっとずっと見ていきたい。
ルミネの広告が好きな人はたくさんいると思うから、それぞれの中でどんな物語があるのか聞いてみたいなあと、ぼんやりと思っています。
いつか誰かと、そんな話が出来たらいいなあ。