正論ばかりじゃ生きられない
書き続けることだけはずっとしていこうって決めてたのに、最近何も書いてないなあと思ったから、これからできるだけ毎日書く習慣をつけていきたい。
人に見られる文章とか、人のために書く文章ではなくて、自分の思ったことを率直に、好きに語る場としてここを使っていきたいので、それが良いことかはわからないけど、わたしの思うことの掃き溜めのような感じで書かせてもらいます。
最近、すごくお世話になっている人に、ふと言われたことがある。
何事も期待してはいけないよってこと。
最初から期待しなければずっと安定した状態でいられる。期待したら気持ちの上下がひどくなって余計なエネルギーを使う。生産性が悪い。だから期待しないように努力すればいいって。
わたしは正論ですねって言った。
でも、それでもわたしは期待したい。別に期待して上手くいかなくても下がったりしない。それは自分でコントロールできるって。
実際そんな上手く調整できるわけなくて、落ち込んだりもする。だけど、結局どこで感情を抑制するかのポイントの差だけで、コストパフォーマンスはそんなに変わらない気がしている。
わたしはその話をしてくれた人のことをすごく尊敬しているし、大好きだし、これからもその人から学ぶことはすっごくたくさん多いと思う。本当にお世話になってる大事な人。
だけど、これだけはやっぱり思ってしまう。
その人の話すことはいつも正論だけど、やっぱり正論だけでどうにもならないこともあるんじゃないかって。
感情を抑制して、正論に則って生きる方がそりゃ楽だし正しい。だって正論だから。
その方が効率よく生きられるし、様々なことが上手くいくのかもしれない。
でも私は、その中で生まれた気持ちとか想いとかに、やっぱりちゃんと向き合っていきたいと思う。
逃げるのは簡単だ。
自分に嘘をつくのも簡単。
人間って案外単純で「自分はこうだ」って思い込むことができる。
決して無理しているとかではなくて、もはや無意識の領域で自分自身に嘘をつくことができる。
自分を守るために。
だって、その方が生きていきやすいから。
でも、そうやって嘘をついている自分にちゃんと気づかなきゃだめだ、って、私は思う。
じゃないと、自分のストレスやしんどさの根源がどこにあるかにすら気づくことができないから、いつまでも状況が改善できない。
そんなことを言ってるわたしも、比較的いつも感情を抑えてばかりなんだけど。
ちゃんと自分に正直になってみなきゃいけないなって、思った。
だってやっぱり、何にも期待しないまま生きるなんて悲しいと思ってしまう。
どうせ心のどこかでは期待してしまうんだから、それなら期待してる自分に素直でありたい。
たとえ結果が伴わなかったとしても、その時に瞬時に切り替えられるようになればいいんじゃないのかなあ。
正論は正論だけど、
やっぱり人の気持ちとか思いとか
こういうものが好きとか嫌いとか
楽しいとか嬉しいとか心地いいとか
そういうものって正論だけじゃ語りきれないよね。
って感じです。
これに共感してくれるひとも
やっぱり割り切った方がいいって思うひとも
いろいろいるんだろうけど
すくなくとも私は、正論では語りきれないような人間の複雑な感情の部分を大切にして
物事を考えたり、文章を書いたりしていきたいなあと改めて思いました。
そんな感じの日曜の夕方です。
もっともっとありのままの感情を人がさらけ出せるような、そんな環境ができればいいなあって自分自身がなかなかそうできないから、やっぱり思ってしまうな。
人間って難しいですね。その分面白くもあるけど。
それではまた。